最近はあまり私の中では、登場しなくなっていたのですが、20代後半、
「モモ」という、ドイツの文学者ミヒャエル・エンデの児童文学にふれたことがきっかけで、よくこの関係の本を、
読みふけっていたものでした。
ドイツ文学者子安美知子さんの「ミュンヘンの小学生」「魂の発見」など、とても新鮮で衝撃的でした。
シュタイナー教育というのは、ドイツの思想家、ルドルフ・シュタイナーが提唱した教育法で、
深い思想のもとに出来ている子供の発達にそって行われる教育です。
日本にも僅かに学校はあるようですが、どこまで根付いているのかは分かりません。
知人が、そこの学校の教師をしています。
長いイギリスでの勉強を終えて、帰国後、京都の方でこの学校の教師をしているらしいです。
深い思想があってと言っても、思想を教育する訳ではなく、それに基づいて考え抜かれた教育をするのですが、
たとえば算数の時間にリコーダーを出して、3拍子のリズムを「かっこう」のように素朴なメロディーに合わせて、
1,2,3と拍子にのって演奏してみて、3の掛け算の勉強をしたり、とてもユニークで、芸術的なんです。
芸術の教育ではなく、教育は芸術だというような考えでもあるようです。
知・情・意と言いますが、おおよそ人間は7年周期で生まれ変わっていき、初めの7年は意志の力を、
次の7年は感情を、次の7年で思考の力をつけてゆくように考えられています。
深く語れるほど、私には知識はありませんが、あまり早くから知識ばかり詰め込み過ぎると、
バランスの取れていない人間になるというような考えでもあります。
小さなころから、漢字が書けるとか、難しい算数が解けるとか、そういう事はかえって弊害を起こしてしまい、
意志の弱い子になったり、本当の知識、知恵をもった人に育たない、あるいは充分に感情が育たない、
と考えられています。
私も、どちらかというと、その考えには賛成で、早くから勉強を強要しても、実際の賢さとは、
遠くかけ離れたもののように感じるのです。
日本の素晴らしい知識人と言われる人たちも、子供の頃は野山を駆け巡って遊びまわっていたという話を
よく聞きますが、難しい算数が出来るというのに、なんでこんな簡単なリズムが理解できないんだろうと、
首をかしげる事もよくあるのです。
そんな事をするぐらいだったら、お菓子を用意して、何人いるから、何個ずつ食べましょうとか、
勉強するのでなく、実際必要な事を日常生活から覚えたり、考えてりする方が、少なくとも幼いうちは、
いいように思います。
なかなか今の事情では、野山を駆け巡って・・・というのは難しいかも知れませんが、体を使って、
しっかりと地に足をつけて成長してくれるといいな、と思います。
シュタイナー教育では、子供は感覚の生き物だというようにも言っています。
感覚で覚え、考えて、実行してゆく。
そんな風に言っていた気がします。
ちょっと昔の記憶なので間違ってるところがあるかも知れませんが…幼児のレッスンをしていて、
やはり大切にしたいのは、感覚感性で、覚える事は小学校に上がるまでは、あまり強要しない方が良いと考えています。
曲を暗譜するとかそういったことではなく、理論を強要しないといったことです。
曲を暗譜するのは小さい子にとって、お手のもので、むしろ感性の世界に属すると思います。
中学校から高校生ぐらいになると、これに楽曲分析なるものが伴わないといけなくなりますが、
ほんの小さい頃は、ここはやさしいお花畑のようだとか、嵐のようだとか、ちょっと寂しい感じがするとか、
元気に行進しているとか・・・そういう感覚で、曲をとらえるのが自然なんだと思います。
ここで感じが変わったな・・・と感じられれば、後にそれは転調しているからだとか、調性が変わったからだと分かるでしょう。
major、minorの感じぐらいは、幼くても分かるとは思いますが。。。
シュタイナー教育から話がそれてしまいましたが、この教育は音楽をとても大切にしているのです。
なので、子安美知子さんの本を読んだときは、こんな学校に行けたらよかったな、とか、
子供たちがこんな教育を受けられたら幸せだな、と思ったものでした。
実際問題このとおりにすることは難しいとしても、ちょっとしたことから現場にとりいれることは可能だと思います。
シュタイナーの思想は、あまり深入りすると、訳が分からなくなってしまいますが、教育に関しては、
学ぶべきところも多く、興味のある方は、現行の教育とはかなり違ったこの教育法を
ちょっと垣間見て見られるのも、面白いかと思います。