うちの書棚には、気に入った絵本がたくさんありますが、その中に安野光雅さんの作品もあります。
昨日は、ちょっと用事があって、本の学校あたりまで出かけました。
気になる本をちょっと見て、ラ・バールでカフェラテをいただきました。
2月後半から、島根県立美術館で、安野光雅展をする関係か、安野さんの本がたくさん並べられており、
欲しいけどまだ購入してないものから、うちにあるものまでたくさんありました。
津和野町出身の安野さんは、少しの間教員をされた後、上京して画家になられたように記憶しています。
司馬遼太郎さんの「街道を行く」のシリーズでは、1971年1月から1990年2月までが須田剋太、須田の没後は1990年9月から1991年7月までは画家桑野博利(1913-2008)、1991年8月から1996年3月までが安野光雅が担当した。
となっていますが、安野さんは、教育テレビで絵をかくシリーズの時に、興味深いことをおっしゃっていました。
スケッチをかく時、同じ風景をみても、個人差がもちろん出てくる訳ですが、
その時に骨格の違いも上げておられました。
なるほど、スケッチをかく時の筆圧とか、線の描写など、その人の感性ばかりでなく、
体によっても違いが出てくるんだと、妙に納得したものです。
ピアノもそうですから・・・
骨格や筋肉、精神的なもの、その人が求める音の質によって違いが出て来て、
同じピアノから出てくる音かと思うぐらい、人によって音色は違いますよね。
画家も同じなんだと思って、ちょっとした驚きでした。
もうひとつその番組で興味深かったことは、ある風景をその場で見て感じて描いたものと、
それを全く同じようにトレースして描いたものは全く違うという事でした。
その時に、トレースした・・・もちろん素敵な作品ではあるのですが・・・作品は、
「魂が入ってない」
とおっしゃっていたように記憶しています。
なるほど、確かに誰かのマネをして、一見上手く弾いているように見えても、うわべのこと。
その人の感性や考え、持っている教養や、背景・・・言いだしたらきりがありませんが、
演奏も、マネしているうちは、本物ではないということです。
学ぶということは、まねぶということですが、小さいうちはそうだとしても、次第に成長して来たら、
自分の考えをしっかり持って弾くことが必要なんだと思います。
安野さんの作品の話に戻りますが、
「10人のひっこし」「大きなものがすきなおおさま」「旅の絵本」「さかさま」「ふしぎなサーカス」
たくさんありますが、私のお気に入りは、
「あいうえおのほん」「ABCのほん」「安野光雅の画集」などです。
まだまだお元気で描き続けてほしいと思います。
うちの本棚はいっぱいの状態で、なかなか新しい本を増やせないのが残念ですが、
よかったら、安野光雅さんの本を手にとってご覧ください。
素敵で不思議な世界が広がりますよ。





























