米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

心を育てる・・・目に見えないもの大切さ

2014-05-03 07:28:40 | おもうこと

子供が勉強しないからさせないと・・・



ピアノ練習しないからさせないと・・・



etc.



etc.



。。。



悩むところですよね。。



先日、うちのスタッフの先生や、お母様方と話していて、「私たち、勉強しろって言われたことそんなにないよね」。。という話になり。。



何が違うんだろう・・・と・・。



これはいつも。



私が小学3年生の頃、常にやる課題が出されていて、それを翌朝教卓に先生に見ていただくページを開けて下向きにふせ、みんなが提出する。。



それが常時出される課題でした。



日記の様なものであったり、計算や漢字だったかもしれません。



夏休みはどっさり“夏の友”以外にも課題が出て、夏休みの終わりになると、ヒーヒー言いながらやってる。。毎日の課題などは、どんなに遅くなってもやらないと気が済まないから遅い時間までやっていると、「子供は寝なさい!」と怒られる。



もちろん外遊びもたくさんしました。



「暗くなったら帰りなさいと言っているでしょう!」



と言われても、徐々に暗くなるのだから、いつを境に暗くなったのか、気付いた時は一番星も二番星も出ていた・・・なんて言うこともよくありました。



これも、けっこうたくさんの生徒さんにも言った話ですが、6年生の時は毎日4時に起きて机に向かっていました。



これ自慢話じゃないんです。



4時に起きて何やってたかって言うと、とにかく調べ物をして発表したかった。



朝4時から7時まで3時間、勉強したと記録したかった・・・きわめて単純な理由です。



テスト勉強じゃないから、当然それでものすごく成績が上がったとか、そういうんじゃない。



ただ、11歳とか12歳の子供が、毎朝起きよう。。とする“意志”だけは大変なものだと思うんです。



これが、ジョギングでもいいし。



それをやらないと気が済まない。



絶対やってやろう、と思う。



そういう心。



この子たちのそういう強い心を育てられたらなぁ・・・って。



子供が悪いわけじゃない。



子供にしてみたら、あ!そうだ!と思ったり、不思議だ~と思ったり、何だろう、、何かしら自分で感じたり考えたりする前に、どんどん与えられるから、じっくり心が育つ間もなく、たまったものじゃない・・・むろんそれに気付く間もない・・・そんな状況でしょうか?



もちろん親御さんだって一生懸命大切に育てている。



社会がどうのかと悪者を探しても無益です。



おそらく今の風潮が、早急な結果を求めすぎていて、何か目立つことがあればマスコミが騒ぎ立てるし、心穏やかでない。



どっしり構えて、目に見えないものを育むことが難しくなってくる。



目に見えて、ここまで課題をこなした、賞やご褒美をもらった、成績が上がった、有名校に入れた。





情報があり過ぎることで、穏やかな気持ちで胆を据えてじっくり見つめることが、大人も子供も難しくなっているのでしょう。



自分自身の考えとして、物事を考え感じ、葛藤を抱え、自分の内面のあらゆること(羨望、焦り、矛盾)を見つめ、ある意味苦しみ戦うことで、大人も子供も成熟するのだと思います。



昨日の奥様向け午前中の情報番組(くだらんヤツですが世の風潮が分かる)では、有名大学を出て一流企業や医師や、そんな仕事を持ちながら、親同士が代理で結婚相手を探すと・・・本人同士のお見合いでさえなく、親同士のお見合い。



それで、幸せになるかもしれないけど、じゃぁその子供は?孫は??そのまた子供は??



ケアのされ方がハンパなく、人として成熟することがあるのだろうかと、そら恐ろしくなります。



宮崎アニメの「千と千尋の神隠し」に登場する“ぼう”・・・大きな大きな赤ちゃんですよね。



仕事がバリバリできるキャリアウーマンの湯ばあばも、自分の子供となるとからっきしダメで、心が成長しないまま大きな赤ちゃんとしてしか成長できていない。



しかし自分の権利だけはしっかりと主張する。



宮崎監督、言いたいことはたくさんあると思います。



私たち大人世代も、生活する中で、大変なこと、矛盾、色々なことを抱えていますよね。



そういうことを長い間抱えて考えているうちに、人生が熟成されてゆくのかもしれません。



子供たちに葛藤を与え、ストレスを感じさせることは、一見かわいそうなのですが、人としての成熟がそれなしには出来ないので、見守るしかない時もあると思います。



たかだか“ピアノ”なのかも知れませんが、色々なことが“音”に如実に表現されてしまいます。



「豪華な造花じゃなくて、道端に咲いている小さな花でいいから、生きているもの、そして自分で摘んできたものを持って来てね」



ここのところ、そんなこと言っています。



そこに芸術の真価が隠されているのだと思います。



大そうなことではないんですよ。



本当に庶民感覚として、実直に愚直に生きるってことかな。。



今日はめちゃくちゃ真面目なモードでした~



連休は、ピアノ弾いて、本読んで、生徒さんと出会って、昼間っから飲む約束なぞ~~



楽しみでございますぅ~





コメント
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