米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
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音楽は心の対話ですね。

ぼくを探しに

2010-12-16 05:29:18 | 本の話


シルヴァスタイン作、倉橋由美子訳、

「ぼくを探しに」 THA MISSING  PIECE(原題)

この本を読まれた事のある方も多いかと思う。

「ぼく」という、欠けた部分をもった、まるい登場人物(キャラクター?)が、白い画面に、1本の単純な線で書かれた、

独特の世界をもつ、どちらかというと、大人のための絵本だ。

シンプルな絵と、簡単な文章で書かれているので、子供でも楽しめるとは思うが、

やはり大人がふと手にしたくなる本だと思う。

「ぼく」は、かけら(欠けた部分)をさがしに旅をする。

かんかん照りの日もあれば、雨の日も、雪の日も、ぽかぽかの日も、歌を歌いながら旅を続ける。

かけらを見つけたと思ったら、拒絶されたり、しっかりくわえなかったから、落してしまったり、

しっかりくわえ過ぎて壊してしまったり・・・

ある日、ぴったりのかけらを見つける。

完璧なまるになった「ぼく」は、すごいスピードで進む事が出来るようになる。

でも、歌う事も、花の香りをかぐ事も出来ない。

考えた末、そっとかけらをおいて、またもとの「ぼく」になって、旅を続けてゆく。

そんな話だ。

この本の初めに、だめな人と、だめでない人の為に・・・と書かれている。

さしずめ私は前者であろう。

欠けた部分があるからこそ、見つけたり、感じたりできる事もあるのかもしれない。

かけた部分が何であろうと、読み手の想像に任せればよい。

しっかりくわえなかったから落としてしまったり、くわえ過ぎて壊してしまったり・・・恋人関係のようでもあるし。。。

「ぼく」は、あえてかけらをおいて、欠けた部分がある事を選んだ。

そうしてゆっくり、歌を歌ったり、花の香りをかいだり、時々ちょうちょがとまったり、そんな風に旅を続ける。

欠けた部分があることで、楽しくないと思っていたのに、欠けた部分がある事を選び、

またそれをさがしに、旅を続ける。

大なり小なり、それが生きるということで、人間とはそういう存在なのかもしれない。

生き続ける限り、何かをさがし旅を続けるのだろう。




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