「昔話の深層」
という本が、あります。
河合隼雄先生が書かれたもので、これは専門書で、かなり読みにくいものだったと記憶しています。
「物語と科学の対話」「物語をものがたる」・・・その他、このような題材を扱ったものも多くあります。
私は心理学の専門ではないし、読んだのもそうとう昔で、20年以上は経っているので、記憶もほとんどない・・・と言ってもいいのですが、ちょっとだけ思うことがあるので書いてみます。
グリムやイソップなどで、親しまれているお話や、世界各地の民話など、深く読み込み研究して、それについて解釈されていた中で、印象に残ったのが、継母(ままはは)などとして描かれている悪い魔女、、、それに対し、救ってくれる王女などは、全て母親の持つ側面を象徴的に表現しているのだと書かれていたということです。
他にも、救ってくれる猟師などは、父親の良い側面、悪い魔女などを火にくべて焼き殺してしまうのは、悪いものや事柄を、心の中から排除する行為だから、決して殺すなんてひどいから最後に仲直りさせよう、などと解釈してはいけない。。
。。。そのようなことが書かれていたと思います。
よく、新しいことを構築するためには、一度壊してたて直す行為が必要だと言われますが、心の中でも、「死と再生」と言う行為を人は何度も行うもののようです。
これが心の中で、上手く行われないと、本当に自殺や殺人事件・・親殺し子殺しのようなことや、通り魔無差別殺傷事件等、悲劇的な方向へ行くのだと思います。
もちろん、このような悲劇的なことにまで発展しなかったとしても、大なり小なり、いろいろな問題を抱えながら人は生きてゆくもので、何でも手放しにハッピーで、心配も悩みもないなんてありえません。
象徴的に何かを壊し、また新たに立て直す・・・再生するという行為を行っているのでしょう。
ちょっとずつ、親子や夫婦、友人、仕事の仲間・・・いろいろな場面で、軋み(きしみ)を感じ、修正して歩いてゆくのが人生なのかな・・・なんて思わなくもないです。
その中での、気付きのようなことは、常にあるのではないでしょうか?
母(父)の愛・・・これも、甘ったるいだけのものではないと思います。
当然ですがね。。
多くの画家によって描かれた、聖母マリアと子供・・・もちろんイエスキリストではありますが、人々の営みの象徴でもあり、赤子であるイエスキリストのこれから降りかかるであろう悲劇が、その掌の十字架によって磔(はりつけ)られるときにできる傷(聖痕・・・せいこん)なども、象徴的に描きこまれているものもあります。
ラファエロなどの絵は、それはもう慈愛に満ちた美しい絵です。
多くの画家が、身近な人・・・自分の妻と子などをモデルにしたとされますが、その母子の姿に聖母の姿を重ね合わせたのも、うなずける話です。
ただ、この反面、、、これは、母ではありませんが、ギリシャ・ローマ神話の神であるサトゥルヌスを題材にした、グロテスクな絵も存在します。
ご存知かもしれませんが、ゴヤの絵で「わが子を食らうサトゥルヌス」・・・スペインのマドリッドにあるプラド美術館で実際に観てきましたが、友人が「なに!この絵!いやだわ!」と、思わず言ったぐらい、グロテスクな絵です。
ルーベンスもこの題材で書いているようです。
こういうことを解釈するには、専門的な知識もいるとは思いますが、昔話やギリシャ・ローマ神話などの中の神として、何かが象徴的に描かれていることも確かなのだと思います。
すみません。。
読み辛かったですよね。。
シュタイナーのワークショップの中で、何度も「オイリュトミー」というものをしたことがあります。
ある時、友人であるオイリュトミストの人が、動きをつけながら、我が子を優しく包み込むように・・・と言って、ふんわりと両手を包み込む動きをした後、、しかし抱え込みすぎてはいけません。。それは腐らせることになります。。と言うようなことを言っていましたが、そういうことなんでしょうね。。
ちなみに、オイリュトミーは、そんなにペラペラしゃべりながらするものでも教訓的なものでもありません。。このときたまたまです。
子供にも一人ひとり個性があり、親子での相性、第一子から始まる、家庭での位置関係や役割で、心の成長の性質や度合いも異なります。
非常にデリケートなものだと思うんです。
だからと言って、恐る恐る・・と言うのも困りますが、心の営みに非常に注意深く目をやらなければならないとも思っています。
どっぷりと甘え、愛情を感じ、安心してその懐に飛び込めるような存在であり、また、もう少したてば友人のようでもあり、乗り越えなければならない壁であったり。。。
安心してさらけ出せるからこそ、力強く羽ばたいてゆけるのでしょう。
学校や幼稚園では、とてもしっかりしてると言われるけど、家では・・・
それは当然ですよ。
ずっとしっかりしていたら、疲れ果てて、心がポキッと折れてしまいますからね。
安息の場所も必要なのです。
それを受け止めること。。
だけど、何でも言うことを聞いて、甘やかすのともちょっと違いますよね。
しっかりとその子を一人の「人」として見つめ、深く理解しているのは私だよ。。と、確信をもって受け止めてあげられたら、子供としてはどんなに心強いでしょうか。。
甘ったるいだけでは済まされない親子関係・・・でも、やはりこんな素敵な関係は他にはないでしょ!。。と言えるほどのものだと思います。
親子関係は、死ぬまで続きますが、あくせくと悩みながら子育てするのも、考えてみればそんなに長い期間ではありません。
子供の時、ふと、学校で過ごす時間、眠っている時間を考えれば、こうして親子で触れ合えるのも、そんなに長い時間ではないのだな・・・と思って、ちょっぴりさみしい気がしたことがあります。
かけがえのない、大切な時間なのですね。。
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