今朝、「まこねこ日記」に3回記事を書いたのですが、込んでいるというのが出て、3回も記事が消えてしまいました。
おじさんが5人で571キロある、ロッカーがデビューしたという内容でした。
キャッチフレーズが「少年よ、大志をいだけ」ではなく「少年よ、体脂肪をいだけ」と言うグループです。
この「少年よ、大志をいだけ」というのは、明治時代、北海道の農業大学に来たクラークの別れの言葉です。しかし、クラークが帰国する時に、そのまま言ったのではなく普段よく同じようなことを言っていたそうです。
だから、後ろに続く言葉は正確には分かっていないそうですが、「・・・キリストによって」とか「・・・神の栄光によって」とかになっています。
私が読んだ本には、「・・・キリストによって」になっていたので、「日本キリスト教史 上 国籍は天にあり」には、そのように書きました。
つまり、普段言っていたことが、別れの言葉という定説になったわけです。
「板垣死すとも、自由は死なず。」や「パンが無ければ、お菓子を食べれば良いでしょう。」と言うのも、本人ではなく、側にいた人が言った言葉が本人の言葉となったそうです。
いつも側にいる人が、誰かによっても、後世の評価に影響が出るものですね。私達の側には、いつもイエス・キリストがおられるということは最高の人生ということになりますね。