クララたちが日本に来る切っ掛けになった富田鐡之助と新島襄は、アメリカで知り合いになりました。
岩倉具視の遣米欧使節団が、アメリカに行った時、富田は抜擢されてニューヨーク領事心得になりました。
この少し前に、アメリカの弁務行使だった森有礼は、密航していた新島襄と知り合いになり、新島を公に明治政府に認めさせていました。
だから、新島は岩倉使節団の通訳に抜擢されたのです。
この時、二人は出会っています。
後に、富田は、日銀総裁になりますが、彼が支援して故郷の仙台に東華学校を作ります。
そして、新島が校長をしていました。
この二人は、クララの家によくやってきました。
新島は同志社を大学にするとき、勝海舟からお金を借りているので、みんな顔見知りなのです。
偉大な人物が、同じところで、関わりを持っていたというのは、興味深いですね。
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