ウイリアム・アンダーソンという 医師は、1873年(明治6)35才の時、日本にやってきました。
品川の海軍病院に勤務しながら、海軍医学校で軍医学生を教え、脚気の研究もしていました。
当時の日本は、脚気で亡くなる方が多かったのです。
和宮・静寛院宮も、侍女が脚気で亡くなったすぐ後に、自分も脚気で39才の若さで亡くなっています。
だから、重要な働きをした方ですね。
また、日本美術に興味を持ち、1880年(明治13)イギリスに帰国しました。
膨大な日本、中国の絵画と美術品を収集した品は、今日の大英博物館における日本美術コレクションの中核をなしています。
1886年(明治19)の48才の時、『日本絵画芸術』The Pictorial Arts of Japanを発表しました。
これは、英語で著された 初めての本格的日本美術史です。
いろんな方が、明治時代活躍していましたね。
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