昨日は、明治時代の清元や都々逸が今のものとは違うというお話も聞きました。
明治時代の初期、イギリス人が日記の中で都々逸を音符にして書いたそうです。
それが、今の都々逸とは違うというものでした。
また、高杉晋作が「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」を作ったと言われていますが、本当は木戸孝允が作ったそうです。
どういうわけか途中で、高杉晋作が作ったということに入れ替わってしまったそうです。
板垣退助が、暴漢に襲われた時「板垣死すとも自由は死せず」と言ったというのは、本人ではなく他の人が言ったというのを聞いたことがあります。
途中で、いろいろ変わってしまうことがあるのですね。
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