まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

松平定敬(さだあき)

2012年10月19日 | 明治人物伝


私の実家は、愛知県瀬戸市ですが、妹の家は岐阜県多治見市です。
どちらも、陶磁器の町です。
今朝、お墓のある可児(かに)市に行ってきましたが、本当に山また山でした。
ゴルフ場を超えて、川を渡りましたが、昨年この川が氾濫したそうです。
ちょうど読んでいた本が「松平定敬(さだあき)のすべて」という本でした。
松平定敬は、高須四兄弟の末弟です。
この高須というのが、今まで何県か意識したことがありませんでしたが、昨日岐阜行きの電車に乗っている時、岐阜県だというのを知りました。
妹に聞くと、今、高須は町おこしをしていて、この間ゴルフで行ってきたそうです。
この高須は、長野県の隣で、川が3本通っていて、いつも氾濫するので、そのためのに毎年たくさん費用がかかりました。
それを、宗家である尾張徳川家が、年間かなり援助をしていたそうです。
高須も尾張もお互いに養子が行き来している血縁で、水戸や一つ橋からも養子が入っているので、みんな入り組んだ複雑な形で親族になっています。
高須家の兄弟たちは、松平義建(よしたつ)の子どもで、みな養子に出ました。
二人の兄は、尾張徳川藩主、次が、会津若松の松平容保(かたもり)、末弟が桑名藩主の松平定敬(さだあき)です。
会津若松の松平容保(かたもり)と、桑名藩主の松平定敬(さだあき)は、仲が良かったので、最後まで官軍と戦いました。
定敬は、名前を変えて北海道に行き、五稜郭でも戦ったのです
高須四兄弟のお兄さんの尾張徳川藩主は、官軍についたので、兄弟で敵味方になったわけです。
悲劇の会津若松ですが、来年度のNHK大河ドラマ「八重の桜」で、今は盛り上がっているそうです。
幕末の物語には、この高須四兄弟の誰かが出てきます。
そして、私の次回作にも松平定敬が出てきます。
最初は、尊大な態度でしたが、だんだん打ち解けてきたときは、優しい言い方に変わっていました。
どんな描き方をすればいいのか分かりませんが、今から楽しみです。

 


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