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嘉永6年ペリーが、大統領の国書を持参して、翌年の春に再来日するということを告げて帰国しました。
幕府では、勝海舟の従兄弟の男谷下総守に、返答書を伝達する役目を言いつけたのです。
この人は、勝のお父さんのお兄さんの子で、ものすごく真面目な方でした。
幕府がアメリカと和解して急場しのぎをしょうとする妥協案は、国のために良くないと考えて、国書を渡す時に、ペリーを刺して、家来たちにも上官を殺すように指示をしていたのです。
ところが、間際になって、役目が他の者に変えられてしまったのです。
ここに神様の手があるというのを感じます。
神様は、カトリックの方々に、7代たったら、黒船がきて自由に賛美する時代がくると預言を与えておられたからです。
もし、ペリーたちを殺していたら、日本はアメリカの植民地にされていたと歴史家は言っています。
そうなれば、勝海舟の無血開城もなかったわけです。
神の許しのないことは、なにひとつおきないですね。
写真は、元旦礼拝の映像です。
我が家は、電波が悪いので、動くと映像が乱れて見づらくなりますが、感謝ですね。
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