昨日、地下鉄の駅で階段の手すり側をおりていたら、前から男性が昇って来た。
このままいくと正面衝突。
私は手すりにつかまりながらおりていたし、相手のほうが全然若い(たぶん学生)。当然のごとく、よけてくれると思っていた。
ところが彼は、ぶつかる寸前で立ち止まり、仁王立ちになって私をにらんだ。
ま、おばあさんじゃないから、わたしだってすぐによけられるけれど、何もにらまなくてもいいじゃないか。
その上、手すりにつかまらなければ降りられない人なのに、手すりを放してよけなければ危ないじゃないか。
ちょっとしたことだったが、とても嫌な気分になった。
その時、前に受けた「江戸しぐさ」のことを思いだした。
「江戸しぐさ」の講演会へ行ってきた。
東京商工会議所文京支部女性懇話会の主催で、講師は「江戸しぐさ語り部の会」主宰の越川禮子氏だ。
朝日新聞のコラムの連載で江戸しぐさのことを知り、江戸好きの私は一も二もなく飛びついて、今日を楽しみにしていた。
越川さんはふんわりとした雰囲気をもつ、とても素敵な人だった。
もちろん講演会の内容も楽しく、なるほどと思うことばかり。
江戸しぐさの「しぐさ」は「思草」と書く。
江戸しぐさとは江戸の商人が作り上げた、江戸っ子のセンスであり、生活の上でのクセであり、そして常識のことである。
江戸っ子はべらんめぇ調だというのは大間違い。
べらんめぇ調は職人の言葉で、本当の江戸弁は美しい響きをもつ丁寧なことばなのだ。
往来しぐさ=傘かしげ、肩引きというのは、知っている人も多いと思う。
しかし私は特に「江戸しぐさの本質」の中にある2つを、ウチの営業部長と広告のヤツに聞かせたい。
1)見てわかる事は言わない
2)結界覚え=分際をわきまえる
ウチの営業部長ってお世辞たらたらで、部下や業者にまで一言、二言、三言、四言…。
社長がいつも呆れかえっているからだ。
その営業部長は江戸っ子だといっているけれど、どうも本物の江戸っ子ではなさそうだ。
江戸っ子でなくても、思いやる心をもてば、事故もおきないしケンカも起きない。
人間として、最低限もっていてほしい心だと思う。
(2003年7月3日)