喪中のはがきを出してから、「御仏前」の現金書留が2通きた。
そして昨日は母の友達で、私の小さいころ前橋で一緒だった方から電話がきた。
私は小さかったので覚えていないけれど、あちらは小さかった私を覚えてくれていて、そして母とは仲が良かった人だ。
母にとっても、その方にとってもあの頃が一番楽しかったときだったらしい。
子どもたちが学校へ行ってから、近所の奥さんたちとコーラスの練習をしたりしていた仲間だったそうだ。
母が亡くなる前にも、電話で話をしたばかりだったという。
そういえば、母も亡くなる数週間まえから、その時代の話ばかりしていて、楽しそうだった。
わたしにしてみれば、またその話と思ったけれど、一番楽しい時代だったのだろう。
友達の不幸の知らせを受け取るのはとても悲しいことだと思う。
私も去年、友達の亡くなった知らせをうけ、お香典を送り、彼女のお姉さまと電話で話したことがあった。
共通の悲しみは、話すことである意味、少しその悲しさを少し和らげてくれるような気がする。
生前の楽しかった思い出話をすることができると、亡くなったという現実を、きちんと受け止めることができるような気がする。
私の知らないところで元気な笑顔を見せていただろう母。
電話をもらってそんなことを考えていたら、また涙がこぼれた。