自分の利益のためだけに生きて、他人に無配慮な生き方は、依存症者の典型です。
だから、回復には、この自己中心的な考え方や態度を、手放す必要がある。
でもなあ…
不思議なのは、私は、自分を削って人のために生きてきたのに、依存症になったってことです。
私の生活時間は家族にあわせてありました。
私は私のやりたいことをがまんして、家事と育児をやりました。
私のやりたかったのは、決して、遊びたい、買い物したい、ちょっと一人でコーヒーを飲みたい等の贅沢ではありません。
仕事をしたかった。
自立したかった。
良き納税者になりたかった。ほんまやで。
「お迎えの時間があるんで」って
「あー、その日は旦那さんが休みなんで」って
やりたいことがまんして
ひとのために生きてきたから
依存症になった、と思ってたのに。
なのに……??
ほんまに、ひとのために生きるのが、回復の道具なんやろか??
と、常々考えておりましたら
とくに女性の仲間、それも共依存の仲間の多くが、同じことを考えているようでして。
そもそも論なんですが
依存症の私たちの考える自己チューとか利他性って
歪んでたり
勘違いだったり
ずれてたり
するんかもしれません。
今日一日!
だから、回復には、この自己中心的な考え方や態度を、手放す必要がある。
でもなあ…
不思議なのは、私は、自分を削って人のために生きてきたのに、依存症になったってことです。
私の生活時間は家族にあわせてありました。
私は私のやりたいことをがまんして、家事と育児をやりました。
私のやりたかったのは、決して、遊びたい、買い物したい、ちょっと一人でコーヒーを飲みたい等の贅沢ではありません。
仕事をしたかった。
自立したかった。
良き納税者になりたかった。ほんまやで。
「お迎えの時間があるんで」って
「あー、その日は旦那さんが休みなんで」って
やりたいことがまんして
ひとのために生きてきたから
依存症になった、と思ってたのに。
なのに……??
ほんまに、ひとのために生きるのが、回復の道具なんやろか??
と、常々考えておりましたら
とくに女性の仲間、それも共依存の仲間の多くが、同じことを考えているようでして。
そもそも論なんですが
依存症の私たちの考える自己チューとか利他性って
歪んでたり
勘違いだったり
ずれてたり
するんかもしれません。
今日一日!