『シン・ウルトラマン』その1
『シン・ウルトラマン』のウルトラマンは
キリストのような自己犠牲のヒーローのように
みえました。
放射線が周囲に拡散しないように
わが身に受け続ける姿は自己犠牲そのものです。
そして、まずは相手の攻撃を受け続けるところも
「右の頬をうたれたら、左の頬を」な精神と
感じられました。
また、「(ウルトラマンは)
着衣なのか裸体なのかわからない」と
作中でも指摘されますが、それはもしかすると
ウルトラマンは性を超越した存在という暗喩
なのかもしれません。
主人公の神永新二と浅見弘子の2人が恋人ではなく
バディ(相棒)という関係をやや強調しているのも
そのような理由かもしれません。
ウルトラマンがゼットンとの最終決戦に赴く時の姿は
後光が差し神々しく、地球を守るために
ゼットンのこ攻撃を受け続ける姿は
(おそれ多いですが)まさにキリストのよう
でした。
西島秀俊さん演じる田村班長も、
「困ったときの神頼みというが、いま一番
神に近い存在はウルトラマンだ」と
言ってますしね。
つづく☆
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます