まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

私はフェミニスト

2010-06-09 17:41:05 | 性愛の倫理学
最近ではフェミニストという言葉は、
フェミニズムの思想や運動にコミットしている人のことを指すようになってきています。
私は、その意味でのフェミニストと言えるでしょうか?
たぶんそうは言えないでしょう。
男女は平等に扱われるべきだと思っていますし、
女性差別なんて言語道断だと思っていますが、
では、フェミニズムが生んだ最大の思想的果実である 「ジェンダー・フリー」 という考え方に、
心から納得しているかといえばけっしてそうとは言えませんし、
人権思想も含めて近代哲学はすべからく男性中心主義であったという告発にも、
素直に首肯できないところがあります。
その意味で私はフェミニストとは言い難いでしょう。

でも、フェミニストって昔は別の意味で使っていましたよね。
女性を守り、女性を大切にする人という意味です。
そういう元の意味で言うなら、私はフェミニストでありたいと未だに思っているのです。
女性に重たい荷物を持たせたりはしたくありませんし、
道を歩くときはクルマが走っている側を自分が歩きたいと思います。
昔一度失敗してしまったのは、まだ福島大学のジェンダー研究会が活動していた頃、
みんなで打ち上げの飲み会をしてその支払いのときに、
いつものクセで男性よりも女性の金額を少し安めにして計算してしまい、
(「じゃあ男性は5000円、女性は4000円ね」)
みんなからいっせいに白い目で見られたことがありました。
フェミニズムやらジェンダーの観点から見ると、そういう昔のフェミニスト的行動というのは、
要するに女性を男性よりも劣った存在とみなし、
一方的に庇護する対象と見ていることになるというのです。

うーん、そうなのかなあ?
男女が平等であるということと、
女性に重い荷物を持たせないということとは、
私のなかではごく普通に両立可能なんだけれどなあ。
クルマに轢かれれば男だって無傷ではすまないだろうけれど、
だからといって2回に1回は女性にクルマ側を歩かせるべきだとはとうてい思えないのだなあ。
そのことと、例えば職場において、男性が指示する側、女性は指示を受ける側であるべきだとか、
家庭において、女性は家事と育児を中心的に担わなければならない、
などという差別的な性役割分業論とはまったく無関係であると思うのですけれど。

とはいえ、無意識に根付いてしまった差別意識とか偏見というものはありうるので、
私としても、自分のなかにある 「昔のフェミニスト」 志向を今後ゆっくり、
時間をかけて分析していきたいと思います。
それまでのあいだ女性の皆さん、私から荷物を持たれたり、
割り勘の金額を安く請求されたとしても、
それはけっして意識的な差別行動ではありませんので、
御寛恕のほどなにとぞよろしくお願い申し上げます。