高校の先生たちと 「地理歴史・公民科学習研究会」 というものを続けています。
かの加藤国彦先生と一緒に始めた研究会です。
5月に行われた研究会の報告文を私が執筆いたしました。
発表者は後期の 「公民科授業研究」 で2回講義をしてくださる、福商の渡部先生でした。
以前に私がその研究会で発表したときに報告文を書いてくださった先生です。
新学習指導要領で重視されている、思考力や表現力を高める授業に取り組んできておられます。
短いまとめですので、発表内容がどこまで伝わるか心配ですが、
私が先生の発表に感銘を受けたということはわかってもらえるのではないでしょうか。
第45回地理歴史・公民科学習研究会報告
レポーター 渡部 純 氏(福島商業高校)
テーマ 「対話的協同のための授業づくり」
ある大学教員が次のように慨嘆した。今の大学生は大学に来るまでの長い間、発言しないことによって自分の居場所を確保してきている、大学に入学してから「さあ発言しろ」と迫られても、発言することには抵抗があり、閉じてしまっている、と。そんな彼らも、小学生の頃にはみんな話したがりだっただろうに、中学、高校と進むあいだに彼らに何が起こってしまったのだろうか。今回の報告者・渡部純氏は、公民科の授業のなかで対話的協同を回復するための授業実践を試みているが、生徒たちのあいだに相対主義的な思考態度が蔓延していることを指摘する。彼らは、自分と異質なものに出会ったとき、「自分はそれは嫌だけれど、相手の文化や価値観を否定する権利は誰にもない」と言って、他者や異文化の価値観に口出ししない大人の態度を貫く。それは一見、寛容な姿勢のようにも見受けられるが、異質な意見をすべて容認する相対主義的な思考態度は、相手に関わりたくないという意思表示であり、「他者との関係性を断ち切る口実に用いられていないだろうか」と渡部氏は危惧している。
そんな彼らにフリーに話し合いをさせると、「メール感覚の共感を示すコメント」ばかりになってしまうという(「私もそれわかるぅ! むっちゃ同感(^^)/」)。そこで渡部氏は、話し合いが、互いの共通性ばかりでなく異質性をも浮かび上がらせつつ、その異質性を手掛かりに相互に自らの思考を深めていくことができるようなものとなりうるように、「連考」というスタイルを模索するのである。「連考」とは佐藤和夫氏が提案する哲学的思考法で、「連歌」のようにある人の考えに別の人の考えを次々と連ねていき、「予測不可能な意見同士を繋げて世界の見方や思考の変容もたらす営み」である(佐藤和夫編『考える営みの再生』大月書店、1994)。それを高校生にやらせてみようというのである。
しかし、その実践はそれほど難しいものでも複雑なものでもない。まず第1段階では、これを紙上で行う。彼らに課題を与え、各自にその回答文を書かせる。それをプリントにまとめて配布し、他の生徒が書いた回答文に対する応答文を書かせる、ということを繰り返すのである。このようにしながら、他者の意見に触発されて、自分の生活や経験を振り返りつつ反省的に思考をしていけるよう少しずつ促していくのである。そして、準備が整ったところで、次に「問答法の授業実践」に移っていく。最初はやはり、課題について1人1人の考えを記入させる。次に、意見の異なるメンバーを入れた3~4人のグループを作り、お互いの文章を読んで付箋紙に質問を記入させていく。ひとまわりしたところで、順次、執筆者は質問に答えていく。その答えに対し、聞き手はさらに質問していくという作業を延々と繰り返すのである。ここではたんなるコメントではなく、質問を書かせるというのがポイントである。「質問という形式は共感でも批判でもない距離の取れた対話関係を築くことができる方法」なのである。そして、彼らは質問に答える作業を通して自らの考えをしだいに明確化していき、場合によっては矛盾を来してしまって立場や価値観の転換を迫られることも生じうる。まさにこの方法がソクラテスに倣って「問答法」と名づけられている所以である。
授業後の生徒の感想にはどれも感動してしまったが、そのうちの2つだけ紹介してまとめに代えたい。「人の考えに共感や批判から入るのは、その意見について考える気がないのだと思った。本当に理解したいのだと思うのなら、必ず質問が出てくるものだと思う。人の考えを考えようとするなら、理解しようとするなら、言葉や文字では伝え切れなかったことをまたこちらから質問するのは当たり前だと思う。」 「問答法をすることで、考えがより明確になったり広がったりするので頭がスッキリしました。でも、考え方があやふやだったり、浅いとつっこまれた時に詰まってしまいました。なんか面接みたいでした(圧迫法みたいな)。でもこれを毎日やったら精神的に向上していく気がしました。問答法とは、答える側の考えを広くして、より強い考え方にしてくれる方法なのだと思いました。授業はとても楽しいです。今回はどうしてよいか少しわからなかったのですが、次は意欲的に取り組めます!」 仕掛けといい成果といい、みごとな実践だと思う。私もさっそく大学の授業で試してみたい。
かの加藤国彦先生と一緒に始めた研究会です。
5月に行われた研究会の報告文を私が執筆いたしました。
発表者は後期の 「公民科授業研究」 で2回講義をしてくださる、福商の渡部先生でした。
以前に私がその研究会で発表したときに報告文を書いてくださった先生です。
新学習指導要領で重視されている、思考力や表現力を高める授業に取り組んできておられます。
短いまとめですので、発表内容がどこまで伝わるか心配ですが、
私が先生の発表に感銘を受けたということはわかってもらえるのではないでしょうか。
第45回地理歴史・公民科学習研究会報告
レポーター 渡部 純 氏(福島商業高校)
テーマ 「対話的協同のための授業づくり」
ある大学教員が次のように慨嘆した。今の大学生は大学に来るまでの長い間、発言しないことによって自分の居場所を確保してきている、大学に入学してから「さあ発言しろ」と迫られても、発言することには抵抗があり、閉じてしまっている、と。そんな彼らも、小学生の頃にはみんな話したがりだっただろうに、中学、高校と進むあいだに彼らに何が起こってしまったのだろうか。今回の報告者・渡部純氏は、公民科の授業のなかで対話的協同を回復するための授業実践を試みているが、生徒たちのあいだに相対主義的な思考態度が蔓延していることを指摘する。彼らは、自分と異質なものに出会ったとき、「自分はそれは嫌だけれど、相手の文化や価値観を否定する権利は誰にもない」と言って、他者や異文化の価値観に口出ししない大人の態度を貫く。それは一見、寛容な姿勢のようにも見受けられるが、異質な意見をすべて容認する相対主義的な思考態度は、相手に関わりたくないという意思表示であり、「他者との関係性を断ち切る口実に用いられていないだろうか」と渡部氏は危惧している。
そんな彼らにフリーに話し合いをさせると、「メール感覚の共感を示すコメント」ばかりになってしまうという(「私もそれわかるぅ! むっちゃ同感(^^)/」)。そこで渡部氏は、話し合いが、互いの共通性ばかりでなく異質性をも浮かび上がらせつつ、その異質性を手掛かりに相互に自らの思考を深めていくことができるようなものとなりうるように、「連考」というスタイルを模索するのである。「連考」とは佐藤和夫氏が提案する哲学的思考法で、「連歌」のようにある人の考えに別の人の考えを次々と連ねていき、「予測不可能な意見同士を繋げて世界の見方や思考の変容もたらす営み」である(佐藤和夫編『考える営みの再生』大月書店、1994)。それを高校生にやらせてみようというのである。
しかし、その実践はそれほど難しいものでも複雑なものでもない。まず第1段階では、これを紙上で行う。彼らに課題を与え、各自にその回答文を書かせる。それをプリントにまとめて配布し、他の生徒が書いた回答文に対する応答文を書かせる、ということを繰り返すのである。このようにしながら、他者の意見に触発されて、自分の生活や経験を振り返りつつ反省的に思考をしていけるよう少しずつ促していくのである。そして、準備が整ったところで、次に「問答法の授業実践」に移っていく。最初はやはり、課題について1人1人の考えを記入させる。次に、意見の異なるメンバーを入れた3~4人のグループを作り、お互いの文章を読んで付箋紙に質問を記入させていく。ひとまわりしたところで、順次、執筆者は質問に答えていく。その答えに対し、聞き手はさらに質問していくという作業を延々と繰り返すのである。ここではたんなるコメントではなく、質問を書かせるというのがポイントである。「質問という形式は共感でも批判でもない距離の取れた対話関係を築くことができる方法」なのである。そして、彼らは質問に答える作業を通して自らの考えをしだいに明確化していき、場合によっては矛盾を来してしまって立場や価値観の転換を迫られることも生じうる。まさにこの方法がソクラテスに倣って「問答法」と名づけられている所以である。
授業後の生徒の感想にはどれも感動してしまったが、そのうちの2つだけ紹介してまとめに代えたい。「人の考えに共感や批判から入るのは、その意見について考える気がないのだと思った。本当に理解したいのだと思うのなら、必ず質問が出てくるものだと思う。人の考えを考えようとするなら、理解しようとするなら、言葉や文字では伝え切れなかったことをまたこちらから質問するのは当たり前だと思う。」 「問答法をすることで、考えがより明確になったり広がったりするので頭がスッキリしました。でも、考え方があやふやだったり、浅いとつっこまれた時に詰まってしまいました。なんか面接みたいでした(圧迫法みたいな)。でもこれを毎日やったら精神的に向上していく気がしました。問答法とは、答える側の考えを広くして、より強い考え方にしてくれる方法なのだと思いました。授業はとても楽しいです。今回はどうしてよいか少しわからなかったのですが、次は意欲的に取り組めます!」 仕掛けといい成果といい、みごとな実践だと思う。私もさっそく大学の授業で試してみたい。