師匠のブログで清水義範の 『いい奴じゃん』 が取り上げられていたことを前に紹介しました。
それにインスパイアーされて、同氏の 『幸せになる力』 についてご紹介したのですが、
その後、まだ読んだことのなかった 『いい奴じゃん』 も取り寄せて読んでみました。
むちゃくちゃいい小説でした。
こんなに前向きな本があっていいのでしょうか。
『幸せになる力』 が理論編のハウツー本だとすると、
『いい奴じゃん』 はそれに基づいて書かれた 「明朗青春小説」 (著者自身による定義) です。
実際に 『幸せになる力』 の出版が2008年の2月、
『いい奴じゃん』 の出版が同年の10月ですから、
著者はまずは自分の言いたいことを理論的に整理し、
それに基づいて小説を書くというように執筆を進めていったのでしょう。
理論派の私としては、彼のそういう著述の進め方自体が憧憬の対象です。
著者はこの小説を 「さくさく読めて元気の出る小説」 にしたかったと言っていますが、
しかし、次のようにも述懐しています。
「実のところ、二十一世紀初頭の現代において、明朗青春小説を書くのは楽なことではなかった。
この厳しい時代に、そんな暢気な小説が成立するだろうか、という問題があるのだ。」
ただのお気楽小説にしないところが、この人のスゴイところです。
現実は現実でちゃんと見据えている。
登場人物の大半が24~5歳なんですが、それは、
その世代の人々が本当に生きにくい時代になってしまっている、
ということを見きわめた上での選択です。
「経済界が無慈悲なまでの合理化」 をはかり、
「日本の雇用制度が崩れ」、どんどん正社員が減らされていて、
「その結果、不本意であっても派遣社員やフリーターに甘んじなければならないとか、
場合によっては勤労意欲がないわけではないのに失業状態に追いやられている人までが出てくる」
ような世の中になってしまっている。
「そういう時代の二十五歳くらいの若い人はつい暗い表情で悩んでしまうよなあ、と思う。
しかし、だからこそ私は、前向きな明るい青春小説を書きたいと思ったのだ。
厳しい時代の中に生きていても、暗いほうにばかり考えてはいけないと思うからだ。」
これはまさに、私がいつも言っている 「受け止め方の問題」 です。
自分にはどうしようもない、今の時代をどう受け止めるか、というのは、
幸せになるための根幹に位置する問題と言っていいでしょう。
それを表現している部分を、ちょっと長くなってしまいますが、引用してみることにしましょう。
主人公の荒木鮎太は小説のスタート時、24歳。
派遣として運送会社で働く、運が悪くて災難に巻き込まれやすい若者です。
派遣仲間の友人、大道寺薫も同い年の、オネエ言葉で話す若者 (男) です。
以下は、ある日の2人の会話です。
たまたまの話の行きがかり上、時代状況の話になってしまいます。
「とにかく鮎太はね、自分が運の悪い人間だってことを忘れちゃダメよ。何をやっても、やらなくても、アンラッキーなことに巻き込まれちゃうんだから」
「やってもやらなくても結果が同じなら、注意したって意味ないだろう」
「屁理屈を言わないの。私はあなたの場当たり的な人生を心配してあげてんだから」
「おれだってちゃんと考えて生きてるぜ」
「そうかしら。ちゃんとした定職につかないで派遣先を転々としていく生き方の、どこにポリシーがあるわけ? あなたに、人生をどうしたいっていう目標があるのなら、教えてほしいわ。」
「派遣のことはしょうがないんだ」
「しょうがないって何よ」
「どうも、そういう時代らしいってことだよ。ちゃんと定職についたほうが安定した人生で、生涯賃金だって派遣社員の数倍だってことはおれも知ってる。会社に人生を縛られちゃうのが面白くないからって考えて、派遣のほうが気楽に自由に生きていけるからそっちを選ぶっていうのは、なんだっけ、大人になるまえの状態にとどまるっていう言葉……」
「モラトリアムのこと?」
「それだ。そういう生き方を選ぶのは大人になりたがらないモラトリアム人間だっていう分析があるじゃないか。でも、もうそういうことでもないんじゃないかと思うんだよ。日本の社会が変わってきてて、フリーターや派遣社員でいい、正社員はいらないってことになってきてるんだと思うよ。だから、定職につきたくないから派遣になってるんじゃなくて、それしか働きようがないからそうなってるんだよ」
「日本の企業体質の根本的な変化のことね。労働コストを下げるために正規雇用者を減らしていくわけよ。そして社会には階層が生まれていく」
「それだよ。やる気がないから派遣で食いつないでいるんじゃないんだよな。派遣でしか働けないってのが、日本の現状なんだよ。だからそれはしょうがないんだ。だからおれは、今、目の前にある仕事をバリバリやることにしているんだよ。そうやって、なんとか生活していけてるのがおれの生き方で、それは恥ずかしいものじゃないと思ってる」
「そうだったわね。あなたってそういうふうに前向きで逞しいヒトなのよね。私ちょっと間違ってたみたい。なんで定職につかないのっていう質問は取り消すわ。それって今を知らないオヤジ世代の言い草だもんね」
こんな厳しい時代状況で、世を呪って自暴自棄になってもいいだろうに、
しかし鮎太はそれをしかたないこととして受け入れて、その中でどう生きていくかを考えています。
他人が悪いんだ、世間が悪いんだ、というふうにひとのせいにしたりしないで、
自分なりに一所懸命、前向きに生きていこうと決意しています。
こういう人は不幸になることができません。
客観的に言えば不幸とか不運とか呼べるようなことが次々と襲いかかってきても、
それを受け止め方ひとつですべて、プラスの方向へのエネルギーに転化してしまいます。
まさに 「幸せになる力」 だなあと思います。
本当にさくさく読めて元気が出る小説ですので、
ぜひ大学生や卒業生の皆さんには読んでいただきたいですし、
できれば中学生や高校生にも読んでもらいたいと思いました。
最後にもうひとつ。
これはこの本には書かれていないことですが、
上記で引用したような箇所やあとがきを読んでいて自分として思ったのは、
それにしても今の世界のこの状況はどう考えてもおかしいよなあということです。
個人的に幸せになるためには、これを受け入れプラスに受け止めることが必要だと思いますが、
しかし、じゃあこの状況をほっておいてただ受け入れるしかないのかというと決してそんなことはなくて、
すでに幸せになってしまっている人、正規雇用で恵まれた環境に生きている人には、
そうでない人々のことを思いやる責務、
この時代状況を少しでも何とかしようと努力する義務があるのだろうと思います。
それを私は 「ノーブレス・オブリージュ」 と呼んでいますが、
それについてはまた別の機会にお話ししましょう。
それにインスパイアーされて、同氏の 『幸せになる力』 についてご紹介したのですが、
その後、まだ読んだことのなかった 『いい奴じゃん』 も取り寄せて読んでみました。
むちゃくちゃいい小説でした。
こんなに前向きな本があっていいのでしょうか。
『幸せになる力』 が理論編のハウツー本だとすると、
『いい奴じゃん』 はそれに基づいて書かれた 「明朗青春小説」 (著者自身による定義) です。
実際に 『幸せになる力』 の出版が2008年の2月、
『いい奴じゃん』 の出版が同年の10月ですから、
著者はまずは自分の言いたいことを理論的に整理し、
それに基づいて小説を書くというように執筆を進めていったのでしょう。
理論派の私としては、彼のそういう著述の進め方自体が憧憬の対象です。
著者はこの小説を 「さくさく読めて元気の出る小説」 にしたかったと言っていますが、
しかし、次のようにも述懐しています。
「実のところ、二十一世紀初頭の現代において、明朗青春小説を書くのは楽なことではなかった。
この厳しい時代に、そんな暢気な小説が成立するだろうか、という問題があるのだ。」
ただのお気楽小説にしないところが、この人のスゴイところです。
現実は現実でちゃんと見据えている。
登場人物の大半が24~5歳なんですが、それは、
その世代の人々が本当に生きにくい時代になってしまっている、
ということを見きわめた上での選択です。
「経済界が無慈悲なまでの合理化」 をはかり、
「日本の雇用制度が崩れ」、どんどん正社員が減らされていて、
「その結果、不本意であっても派遣社員やフリーターに甘んじなければならないとか、
場合によっては勤労意欲がないわけではないのに失業状態に追いやられている人までが出てくる」
ような世の中になってしまっている。
「そういう時代の二十五歳くらいの若い人はつい暗い表情で悩んでしまうよなあ、と思う。
しかし、だからこそ私は、前向きな明るい青春小説を書きたいと思ったのだ。
厳しい時代の中に生きていても、暗いほうにばかり考えてはいけないと思うからだ。」
これはまさに、私がいつも言っている 「受け止め方の問題」 です。
自分にはどうしようもない、今の時代をどう受け止めるか、というのは、
幸せになるための根幹に位置する問題と言っていいでしょう。
それを表現している部分を、ちょっと長くなってしまいますが、引用してみることにしましょう。
主人公の荒木鮎太は小説のスタート時、24歳。
派遣として運送会社で働く、運が悪くて災難に巻き込まれやすい若者です。
派遣仲間の友人、大道寺薫も同い年の、オネエ言葉で話す若者 (男) です。
以下は、ある日の2人の会話です。
たまたまの話の行きがかり上、時代状況の話になってしまいます。
「とにかく鮎太はね、自分が運の悪い人間だってことを忘れちゃダメよ。何をやっても、やらなくても、アンラッキーなことに巻き込まれちゃうんだから」
「やってもやらなくても結果が同じなら、注意したって意味ないだろう」
「屁理屈を言わないの。私はあなたの場当たり的な人生を心配してあげてんだから」
「おれだってちゃんと考えて生きてるぜ」
「そうかしら。ちゃんとした定職につかないで派遣先を転々としていく生き方の、どこにポリシーがあるわけ? あなたに、人生をどうしたいっていう目標があるのなら、教えてほしいわ。」
「派遣のことはしょうがないんだ」
「しょうがないって何よ」
「どうも、そういう時代らしいってことだよ。ちゃんと定職についたほうが安定した人生で、生涯賃金だって派遣社員の数倍だってことはおれも知ってる。会社に人生を縛られちゃうのが面白くないからって考えて、派遣のほうが気楽に自由に生きていけるからそっちを選ぶっていうのは、なんだっけ、大人になるまえの状態にとどまるっていう言葉……」
「モラトリアムのこと?」
「それだ。そういう生き方を選ぶのは大人になりたがらないモラトリアム人間だっていう分析があるじゃないか。でも、もうそういうことでもないんじゃないかと思うんだよ。日本の社会が変わってきてて、フリーターや派遣社員でいい、正社員はいらないってことになってきてるんだと思うよ。だから、定職につきたくないから派遣になってるんじゃなくて、それしか働きようがないからそうなってるんだよ」
「日本の企業体質の根本的な変化のことね。労働コストを下げるために正規雇用者を減らしていくわけよ。そして社会には階層が生まれていく」
「それだよ。やる気がないから派遣で食いつないでいるんじゃないんだよな。派遣でしか働けないってのが、日本の現状なんだよ。だからそれはしょうがないんだ。だからおれは、今、目の前にある仕事をバリバリやることにしているんだよ。そうやって、なんとか生活していけてるのがおれの生き方で、それは恥ずかしいものじゃないと思ってる」
「そうだったわね。あなたってそういうふうに前向きで逞しいヒトなのよね。私ちょっと間違ってたみたい。なんで定職につかないのっていう質問は取り消すわ。それって今を知らないオヤジ世代の言い草だもんね」
こんな厳しい時代状況で、世を呪って自暴自棄になってもいいだろうに、
しかし鮎太はそれをしかたないこととして受け入れて、その中でどう生きていくかを考えています。
他人が悪いんだ、世間が悪いんだ、というふうにひとのせいにしたりしないで、
自分なりに一所懸命、前向きに生きていこうと決意しています。
こういう人は不幸になることができません。
客観的に言えば不幸とか不運とか呼べるようなことが次々と襲いかかってきても、
それを受け止め方ひとつですべて、プラスの方向へのエネルギーに転化してしまいます。
まさに 「幸せになる力」 だなあと思います。
本当にさくさく読めて元気が出る小説ですので、
ぜひ大学生や卒業生の皆さんには読んでいただきたいですし、
できれば中学生や高校生にも読んでもらいたいと思いました。
最後にもうひとつ。
これはこの本には書かれていないことですが、
上記で引用したような箇所やあとがきを読んでいて自分として思ったのは、
それにしても今の世界のこの状況はどう考えてもおかしいよなあということです。
個人的に幸せになるためには、これを受け入れプラスに受け止めることが必要だと思いますが、
しかし、じゃあこの状況をほっておいてただ受け入れるしかないのかというと決してそんなことはなくて、
すでに幸せになってしまっている人、正規雇用で恵まれた環境に生きている人には、
そうでない人々のことを思いやる責務、
この時代状況を少しでも何とかしようと努力する義務があるのだろうと思います。
それを私は 「ノーブレス・オブリージュ」 と呼んでいますが、
それについてはまた別の機会にお話ししましょう。