まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

ルーツへの旅 (その1) ・ 小野原家ズ

2010-06-14 12:47:30 | 人間文化論
昨日も父の話題で引っ張っていたところですが、
昨日の記事に写真画像を貼り付けるのを忘れていました。先ほど貼っておきました
この週末、父の17回忌で九州に行ってきました。
知る人ぞ知るですが、私は九州男児です。
佐賀県の嬉野温泉というところで生まれました。
なので、そこに小野原家のお墓があるわけです。
とはいえ、父は私が1歳になる前に上京してしまいましたし、
祖父も祖母も、長男であった伯父もみんな亡くなってしまっていますので、
もう嬉野には親戚は誰もいません。
でもお墓はそこにあり続けていて、
1周忌、3回忌、7回忌、13回忌など節目の年には九州旅行を敢行しなければならないわけです。
今回は17回忌ということで、4年ぶりのルーツへの旅です。

羽田から福岡空港へ飛び、そこから高速バスで嬉野温泉へと向かいます。
佐賀県にも佐賀空港があるみたいですが、
福島空港同様、便数が少ないのと、空港から先のアクセスが不便なのとで、
もっぱら福岡空港経由です。
空港からは1時間半ほどで嬉野温泉に到着し、
時間の関係上、まずは法事の前にお墓参りに行きました。

墓地は軽い傾斜地に広がっています。
毎度のことですが、墓地に入っていくとわりと最初のほうの一等地に、
真新しい金文字入りの小野原の墓がすぐに見えてきます。
残念ながらこれはうちのお墓ではありません。
うちの親戚の墓でもありません。
(小野原の隣に書かれている姓もまったく知らない名前です。)
ルーツをずっとたどっていけばどこかで繋がっているのかもしれませんが、
お互いにまったく知らない同士の、ただのどこかの小野原さんのお墓です。
佐藤さんや渡辺さんにとって、見知らぬ佐藤さん、渡辺さんのお墓が、
同じ墓地のなかにあってもなんの関係もないのと同様です。

そこからほど近いところにアナザー小野原さんのお墓が見えてきますが、
これもうちとはなんの関係もありません。
墓地の中ほどにさしかかると、小野原スポットが現れました。
左の 「小野原」 の金文字はこの写真でも読み取れると思いますが、
右側の2つも小野原家のお墓です。
全部うちとは無関係です。
それにしても皆さん立派なお墓を立てていらっしゃいます。
どうせならこのうちのどれかでお墓参りをしていってしまおうかと思うくらいです。
しかしそうもいかないので、うちの父が眠る墓を目指して、
私たちはさらに奥深くへと分け入っていかなくてはなりません。

我が小野原家の墓は墓地のなかの奥のほう、
小高くなった丘の上に位置しています。
そこまでは細くて足場が斜めになった石造りの坂道を上っていかなくてはならず、
手すりにつかまりながら歩いていてもちょっと危険な感じです。
実際、うちの祖母は生前、お墓参りから帰る途中ここで転んで骨折してしまい、
それっきり自分ではお墓参りにいくのをやめてしまったというくらい、不便で危険なのです。
そこを、旅行カバンや花束や水の入ったヤカンなどを両手に抱えたまま、
そうっと上っていきました。
まるで綱渡りをしているような感覚です。

最後は10段くらいの階段を上って、やっと我が小野原家のお墓に到着です。
先の写真でもわかるとおり、うちのお墓は最も高台に位置しており、
その奥には鬱蒼と生い茂る木々がありますので、
いつもなら足の踏み場もないくらいの枯れ葉や落ち葉で覆われています。
今回は伯母が1週間前にわざわざ博多から来て、片づけておいてくれましたので、
清掃作業はとても楽ちんにすみました。
伯母はゴミ袋6袋分の落ち葉を撤去してくれたそうです。
こんなに一番奥まったところにあるのは、我が小野原家の歴史が長いからでしょうか。
それとも、価格が一番安かったからでしょうか。
たぶんその両方なのでしょう。
うちのお墓には、他の家のお墓よりも若干狭めの敷地のなかに、
3つの墓石がひしめくように立っていますが、
他の小野原家のお墓とはまったく見た感じが違う、年季の入ったお墓です。
この写真はなんだか小ぎれいに撮れていますが、
実際にはこちらの2つと同じくらい苔がむしてしまっていて、小野原の文字も読み取りにくいぐらいです。
むろん最初から金文字ではなかったのでしょう。
しかしながら、私の趣味としてはお墓というのはこれくらいが風情があっていいと思います。
それに落ち葉の掃除はたいへんですが、ここは木陰になるので、
先祖の供養をするためのゆったりとした時間を過ごせるのはたしかです。
みんなで順番に身体を入れ替えながら、花を手向け、線香を焚き、ビールを供え、
心ゆくまで手を合わせてお墓参りをすませました。

それにしてもこの一帯の小野原の多さはどういうことでしょう。
私はまだ自分たち親族以外の小野原さんに出会ったことがありませんが、
それは成長・活躍の場を、横浜、福島へと移してしまったからであって、
このへんに住んでいたら、同級生に小野原君や小野原さんがいたのかもしれません。
全国的には珍しい名前ですが (地名としては大阪にあるらしい…)、
この一帯ではよくある名前だったのでしょう。
知らない小野原さんに会ってみたいような、会ってみたくないような、
ヤフーとかで検索してみると、
私以外の 「小野原雅夫さん」 というゴルフ大会の常連さんがいらっしゃるようですが、
同姓同名とまではいかなくとも、同姓の方には死ぬまでに一度はお会いしてみたいものです。
もしもこのブログを読んでくださっている 「小野原さん」 がいらっしゃいましたら、
コメントをいただけるとありがたいです (おとうとさんは除く)。