看護学校では、第3回目以降はずっと 「死」 の問題を扱っていきます。
とはいえ、死の問題はなかなか難しいし、そもそもできれば考えたくない問題です。
そういう問題へと導入していくために、まずは 「死んだあと」 について考えてもらっています。
宗教に対する信仰が厳格な他の国々ではどうかわかりませんが、
あまり明確な死生観が共有されていない日本では、
「死んだらどうなるのか」 という問いはわりと気軽に考えられる問題です。
学生の皆さんの回答を集計して死後観について分類整理してみた結果を教えてあげると、
だいたいみんな納得してくれるようです。
死後についてのイメージは5パターンしかないという私の持論です。
そうやって 「死んだらどうなるのか」 について自分やみんながどう考えているか確認してもらったあと、
今度は看護師の立場で考えてもらうため、こんな問いを与えます。
「Q.病院で死期の間近な患者さんに、『死んだらどうなるんでしょうか?』 と聞かれたら、
看護師としてどう答えますか?」
むちゃくちゃ難しい問題です。
実習中や就職先の病院でもしもこんな質問をされたらたぶんみんな絶句してしまうでしょう。
しかし、いつこんな質問をぶつけられないともかぎりません。
そのときになってしどろもどろになってしまうより、今のうちに考えてみておくべきでしょう。
まずは1人で考えてもらい、次にグループで話し合い、発表してもらいます。
やはり1人ではなかなかいい答えも考えつきませんが、
みんなで話し合ってみると名案が浮かんできたりするものです。
例年、なかなかいい答えが出てきて感心させられます。
とまあ、そんなワークをやったあとの感想用紙にこんな質問が書かれていました。
「Q.先生は、死んだらどうなるのかとナースにきいて、どんな答えがきたら安心とゆーか、
納得がえられますか? 教えて下さい。」
あんな難しい質問をした以上、私としても学生さんからのこうした質問には、
ちゃんとお答えしなくてはなりません。
とはいえ、この質問にお答えするのは難しいですねぇ。
というのも、私は 「死んだらどうなるんでしょうか?」 なんて、
看護師さんに聞いたりはしないと思うからです。
私はこの問いに対しては、自分なりのはっきりとした信念をもっており、
したがって、自分なりの死生観も確立していないような年端もいかない看護師さんに、
そんな厳しい問いをぶつけるなんて意地悪なこと、たぶんしないだろうと思うのです。
だから、「A.私はそんな質問はしません」 というのが正直な答えなんでしょうが、
それでは質問者に対するお答えになっていませんよね。
さて、なんと答えたらいいでしょうか?
すでにはっきりとした答えをもっているにもかかわらず、
私がもしもそういう質問を看護師さんにぶつけたとしたら、
やはりそれは、その答えそのものを知りたいのではなく、
その質問の裏になにかしらの別の意図があるからでしょうねえ。
例えば、この看護師さんはなんと答えるだろうか確かめてやろうみたいな、
元看護学校非常勤講師としての底意地の悪い意図があるとか、
あるいは、死が迫ってきている恐怖に耐えきれず、
その恐怖や不安を看護師さんにわかってもらいたいと思っているのかもしれませんし、
あるいは、かわいい看護師さんに甘えてみたいだけなのかもしれません。
そういう裏の意図を秘めた患者さんに対し、看護師さんはどう対応すればいいのでしょうか?
私として一番理想的なのは、
私の授業を取ってくれた看護学校の卒業生の誰かが私を担当してくれて、
その看護師さんがちょっとバカにしたような強い口調で、
「先生ったらなに言ってんですか?
先生はそんなこととっくにご存じのはずじゃありませんか。
授業やブログでその問題について語っていたの覚えていますよ。
ホントは何が聞きたいんです?」
みたいなツッコミを入れてくれるのがベストですね。
病人扱いされたり、末期患者扱いされるより、
昔 「哲学」 や 「倫理学」 を教え教わったどうしとして、
授業の延長みたいな会話ができたらサイコーだと思います。
とはいえ、私の現住所からすると、私の教え子に看取ってもらう可能性は
とてつもなく低いと言わざるをえないでしょう。
そうすると、私が元看護学校で 「哲学」 や 「倫理学」 を教えていた、
なんてことをまったく知らない人に看護してもらうということになるでしょう。
そういう人に向かってあの質問をしたとしたら、なんて答えてもらいたいでしょうか?
まあやはり、なにかテキトーな答え (Bのaやbやc) をでっち上げられるよりは、
「私にはわかりません」、「小野原さんはどう思われますか?」 というような、
多くのグループで出してくれたような答えが一番安心できるような気がします。
あるいは、これはフツーの (私に習ったのではない) 看護師さんにはムリかもしれませんが、
「ウソか本当かはわからないんですが、死にかかって生き返ってきた人のなかには、
臨死体験というものをする人がいて、その人たちはこんなことを見たり聞いたりしたそうですよ。…」
というように、臨死体験の話をしてもらうというのもいいかもしれません。
臨死体験が現実の死後の世界の体験なのか、
たんなる幻覚であって脳内現象にすぎないのかは今のところまだ決着がついていませんが、
どちらであれ、臨死体験をした人がいるということは確かですので、
ただその体験談を教えてあげることはウソをつくことにはなりません。
「~を体験した人がいるそうですよ」 という言い方をすればそれはウソではなく事実なのです。
そんなところでしょうか。
まあ私はもはやフツーの患者さんではありえませんので、
やはりあんな質問はしないでしょうし、したとしても私が満足する答えが、
フツーの患者さんにも通用するとは思えません。
そういう意味では、私から聞いたことを正解と思うのではなく、
よりよい答えを探して、これからもずっと考え続けていってほしいと思います。
今回の課題は大変だったかもしれないけれど、これからはもっともっと難しくなっていきます。
でも簡単にあきらめてしまわないで、なんとか答えを見つけ出していってください。
とはいえ、死の問題はなかなか難しいし、そもそもできれば考えたくない問題です。
そういう問題へと導入していくために、まずは 「死んだあと」 について考えてもらっています。
宗教に対する信仰が厳格な他の国々ではどうかわかりませんが、
あまり明確な死生観が共有されていない日本では、
「死んだらどうなるのか」 という問いはわりと気軽に考えられる問題です。
学生の皆さんの回答を集計して死後観について分類整理してみた結果を教えてあげると、
だいたいみんな納得してくれるようです。
死後についてのイメージは5パターンしかないという私の持論です。
そうやって 「死んだらどうなるのか」 について自分やみんながどう考えているか確認してもらったあと、
今度は看護師の立場で考えてもらうため、こんな問いを与えます。
「Q.病院で死期の間近な患者さんに、『死んだらどうなるんでしょうか?』 と聞かれたら、
看護師としてどう答えますか?」
むちゃくちゃ難しい問題です。
実習中や就職先の病院でもしもこんな質問をされたらたぶんみんな絶句してしまうでしょう。
しかし、いつこんな質問をぶつけられないともかぎりません。
そのときになってしどろもどろになってしまうより、今のうちに考えてみておくべきでしょう。
まずは1人で考えてもらい、次にグループで話し合い、発表してもらいます。
やはり1人ではなかなかいい答えも考えつきませんが、
みんなで話し合ってみると名案が浮かんできたりするものです。
例年、なかなかいい答えが出てきて感心させられます。
とまあ、そんなワークをやったあとの感想用紙にこんな質問が書かれていました。
「Q.先生は、死んだらどうなるのかとナースにきいて、どんな答えがきたら安心とゆーか、
納得がえられますか? 教えて下さい。」
あんな難しい質問をした以上、私としても学生さんからのこうした質問には、
ちゃんとお答えしなくてはなりません。
とはいえ、この質問にお答えするのは難しいですねぇ。
というのも、私は 「死んだらどうなるんでしょうか?」 なんて、
看護師さんに聞いたりはしないと思うからです。
私はこの問いに対しては、自分なりのはっきりとした信念をもっており、
したがって、自分なりの死生観も確立していないような年端もいかない看護師さんに、
そんな厳しい問いをぶつけるなんて意地悪なこと、たぶんしないだろうと思うのです。
だから、「A.私はそんな質問はしません」 というのが正直な答えなんでしょうが、
それでは質問者に対するお答えになっていませんよね。
さて、なんと答えたらいいでしょうか?
すでにはっきりとした答えをもっているにもかかわらず、
私がもしもそういう質問を看護師さんにぶつけたとしたら、
やはりそれは、その答えそのものを知りたいのではなく、
その質問の裏になにかしらの別の意図があるからでしょうねえ。
例えば、この看護師さんはなんと答えるだろうか確かめてやろうみたいな、
元看護学校非常勤講師としての底意地の悪い意図があるとか、
あるいは、死が迫ってきている恐怖に耐えきれず、
その恐怖や不安を看護師さんにわかってもらいたいと思っているのかもしれませんし、
あるいは、かわいい看護師さんに甘えてみたいだけなのかもしれません。
そういう裏の意図を秘めた患者さんに対し、看護師さんはどう対応すればいいのでしょうか?
私として一番理想的なのは、
私の授業を取ってくれた看護学校の卒業生の誰かが私を担当してくれて、
その看護師さんがちょっとバカにしたような強い口調で、
「先生ったらなに言ってんですか?
先生はそんなこととっくにご存じのはずじゃありませんか。
授業やブログでその問題について語っていたの覚えていますよ。
ホントは何が聞きたいんです?」
みたいなツッコミを入れてくれるのがベストですね。
病人扱いされたり、末期患者扱いされるより、
昔 「哲学」 や 「倫理学」 を教え教わったどうしとして、
授業の延長みたいな会話ができたらサイコーだと思います。
とはいえ、私の現住所からすると、私の教え子に看取ってもらう可能性は
とてつもなく低いと言わざるをえないでしょう。
そうすると、私が元看護学校で 「哲学」 や 「倫理学」 を教えていた、
なんてことをまったく知らない人に看護してもらうということになるでしょう。
そういう人に向かってあの質問をしたとしたら、なんて答えてもらいたいでしょうか?
まあやはり、なにかテキトーな答え (Bのaやbやc) をでっち上げられるよりは、
「私にはわかりません」、「小野原さんはどう思われますか?」 というような、
多くのグループで出してくれたような答えが一番安心できるような気がします。
あるいは、これはフツーの (私に習ったのではない) 看護師さんにはムリかもしれませんが、
「ウソか本当かはわからないんですが、死にかかって生き返ってきた人のなかには、
臨死体験というものをする人がいて、その人たちはこんなことを見たり聞いたりしたそうですよ。…」
というように、臨死体験の話をしてもらうというのもいいかもしれません。
臨死体験が現実の死後の世界の体験なのか、
たんなる幻覚であって脳内現象にすぎないのかは今のところまだ決着がついていませんが、
どちらであれ、臨死体験をした人がいるということは確かですので、
ただその体験談を教えてあげることはウソをつくことにはなりません。
「~を体験した人がいるそうですよ」 という言い方をすればそれはウソではなく事実なのです。
そんなところでしょうか。
まあ私はもはやフツーの患者さんではありえませんので、
やはりあんな質問はしないでしょうし、したとしても私が満足する答えが、
フツーの患者さんにも通用するとは思えません。
そういう意味では、私から聞いたことを正解と思うのではなく、
よりよい答えを探して、これからもずっと考え続けていってほしいと思います。
今回の課題は大変だったかもしれないけれど、これからはもっともっと難しくなっていきます。
でも簡単にあきらめてしまわないで、なんとか答えを見つけ出していってください。