まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

バラのための時間

2011-10-31 04:40:51 | 性愛の倫理学
以前に 「愛とは時間である」 という一文を書きました。

その後、「愛とは飲食をともにする時間である」 という続編も書きました。

これらは意外と好評を博し、コメントやらメッセージやらで多くの反響をいただきました。

ところで私は 「愛とは時間である」 の冒頭でこんなふうに書きました。

「愛とは時間である、と私は思います。

 今までこんなことを語った哲学者や文学者がいたのかどうか知りませんが、

 私は、愛とは時間である、と思うのです。」

この部分に関わって、ある方が次のような情報をお寄せくださいました。

私の文章を読んでいて、サン=テグジュペリの 『星の王子さま』 の一節を思い出したというのです。

キツネと王子様のシーンです。



(以下、引用)

キツネは言いました。

「じゃ秘密を言うよ。簡単なことなんだ。ものは心で見る。肝心なことは目では見えない。」

「肝心なことは目では見えない」

と、王子様は、忘れないために繰り返しました。

「君がバラのために費やした時間の分だけ、バラは君にとって大事なんだ」

「ボクがバラのために費やした時間の分だけ、バラは…」

と、王子様は、忘れないために繰り返しました。

(引用、終わり)



なるほど。

たしかにバラのくだりは同じ話のように思えます。

実を言うと私は 『星の王子さま』 を読んだことがないんですが、

知らないうちにサン=テグジュペリと同じことを語っていたなんてスゴイじゃないですか。

と、ちょっといい気になっていたのですが、

よーく読んでみると 「あれっ?」 となにかおかしな感じがしてきました。

サン=テグジュペリの真意は前半部分にあります。

「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない。」

それに比して私の論点は、そのブログのコメント欄に記したように、

愛を測る尺度を簡素化するというところにあります。

つまり、愛を時間によって測る、肝心なことを目で見える (時計で測れる) ようにする、

というのが私の執筆の動機だったのです。

そう考えるとまるっきり逆ですね。

なーんだ。

やっぱり私はファンタジーとは無縁の人間だったのか。

だから今まで 『星の王子さま』 を読む気にならなかったんですね、残念っ!