■売れているのは「質の低い音楽」だった?
ああっ。ブックマークが7つくらいのときに書こうと思ってたのに。もう「500 users」を超えてるじゃないか。
音楽業界の中の人である筆者が、「CDが売れない」とボヤきつつ、理由を分析するブログ記事である。
極めて慎重に、奥底にある自分の本音には触れずに。
■「売れているのはゴミ」はアーチストの思い込みか?
アーチストとかクリエイターとか呼ばれる人たちは、今も昔も「いいものが売れない。売れているのはゴミばかりだ」みたいな空腹感を抱えている。
だからこそ彼らは、いつかいいものを作れるのだ。
いいものを作ってる(と自分では思っている)けど売れてない今の自分を、無意識のうちに自分でそうやって励ましているのである。
「なあ、ほら、売れているのはゴミばかりだろう? お前(自分)は確かにいいものを作ってるさ。けど、今は売れてないだけだ。わかるだろ?」
で、貧乏に耐えて何年も難儀するうち、ひょっこりいいものを作っちゃうのだ。
筆者の思考パターンもそれと同じく、「いいものが売れない。売れているのはゴミばかりだ」になってるところが非常に興味深い。
■音楽をコミュニケーション・ツールとして使う「病人たち」
そして筆者はCDが売れない背景を、他人との関係性が保てなければたちまち心が壊れてしまう現代人のある種の病理(筆者はこうは書いてないが)に求めている。(私はこの病理を、「1人ではいられない病」とか友だち原理主義、つまり関係性の病(やまい)だと考えている)
彼らは音楽を聴くことそのものを楽しんでいたわけじゃない。音楽をコミュニケーション・ツールとして使っていただけだ。「1人ではいられない病」にかかった多くの現代人にとって、人とのコミュニケーションは生きる上での必須科目である。だからそのツールとして使われた音楽は売れたのだ──。
筆者は原因をこう分析し、落とし前をつけている。確かにそうかもしれない。だけど(邪推だろうが)、筆者は真の本音を書いてないと思う。
なぜならそれは業界人にとって禁句だからだ。
■「お前ら消費者がバカだからCDが売れない」
想像にすぎないが、たぶん書かれなかった筆者の本音はこうである。
『理想は「志の高い音楽」が売れることだ。なのに消費者が衆愚だから、いいものを作っている彼らは売れない。悪いのは消費者だ。音楽をわかってない「奴ら」が悪いんだ──』
音楽界に限らずどこの業界でも、こう思っている業界人は多い。
繰り返しになるが、アーチストとかクリエイターとか呼ばれる人たちは、このテの思考に陥りがちなのだ。冷徹に「何が利益なのか?」を計算し、「お客様は神様です」と言ってしまえる商売人になり切れない。
我々が生きている高度消費社会の主役は、広告主と消費者だ。だからコンシューマに対する呪詛の言葉を口に出すことは、広告主を貶すのと並んで現代最大のタブーである。
広告をもらえなけりゃ、メシが食えない。
消費者にモノを買ってもらえなきゃ、おまんまの食い上げだ。
だから俺たちゃ、クライアント様とコンシューマ様の悪口は言えないんだ。
(○○モナー)
【関連エントリ】
『「関係性の病」に侵された人に売れるコミュニケーション・ソング』
ああっ。ブックマークが7つくらいのときに書こうと思ってたのに。もう「500 users」を超えてるじゃないか。
音楽業界の中の人である筆者が、「CDが売れない」とボヤきつつ、理由を分析するブログ記事である。
極めて慎重に、奥底にある自分の本音には触れずに。
CDの売れない理由として、音楽の質の低下をあげるむきがあるが、それは根本的に間違っている。(中略)
ちょうど10年位前、CDが最も売れていた時代にも質の高い音楽と質の高くない音楽がそれぞれ無数にあった。そしてガシガシ売れていたのはむしろ質の高くない音楽だった。(中略)
●くだらない踊り方『「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年』
■「売れているのはゴミ」はアーチストの思い込みか?
アーチストとかクリエイターとか呼ばれる人たちは、今も昔も「いいものが売れない。売れているのはゴミばかりだ」みたいな空腹感を抱えている。
だからこそ彼らは、いつかいいものを作れるのだ。
いいものを作ってる(と自分では思っている)けど売れてない今の自分を、無意識のうちに自分でそうやって励ましているのである。
「なあ、ほら、売れているのはゴミばかりだろう? お前(自分)は確かにいいものを作ってるさ。けど、今は売れてないだけだ。わかるだろ?」
で、貧乏に耐えて何年も難儀するうち、ひょっこりいいものを作っちゃうのだ。
筆者の思考パターンもそれと同じく、「いいものが売れない。売れているのはゴミばかりだ」になってるところが非常に興味深い。
■音楽をコミュニケーション・ツールとして使う「病人たち」
そして筆者はCDが売れない背景を、他人との関係性が保てなければたちまち心が壊れてしまう現代人のある種の病理(筆者はこうは書いてないが)に求めている。(私はこの病理を、「1人ではいられない病」とか友だち原理主義、つまり関係性の病(やまい)だと考えている)
もともと志の高くない音楽のユーザーとは、純粋な意味での音楽ファンではない。
彼らにとっては音楽は、所詮ツールであり、媒介だった。
10年前、売れていたCDとはドラマやCMのタイアップ曲だったり、カラオケで歌いやすい曲だったりした。(中略)
学校や職場の友達とドラマの話をし、カラオケに遊びに行く。そんな場面のひとつのピースとして音楽があった。音楽はコミュニケーションのネタであり、関係性を築くタネだった。
彼らは音楽を聴くことそのものを楽しんでいたわけじゃない。音楽をコミュニケーション・ツールとして使っていただけだ。「1人ではいられない病」にかかった多くの現代人にとって、人とのコミュニケーションは生きる上での必須科目である。だからそのツールとして使われた音楽は売れたのだ──。
筆者は原因をこう分析し、落とし前をつけている。確かにそうかもしれない。だけど(邪推だろうが)、筆者は真の本音を書いてないと思う。
なぜならそれは業界人にとって禁句だからだ。
■「お前ら消費者がバカだからCDが売れない」
想像にすぎないが、たぶん書かれなかった筆者の本音はこうである。
『理想は「志の高い音楽」が売れることだ。なのに消費者が衆愚だから、いいものを作っている彼らは売れない。悪いのは消費者だ。音楽をわかってない「奴ら」が悪いんだ──』
音楽界に限らずどこの業界でも、こう思っている業界人は多い。
繰り返しになるが、アーチストとかクリエイターとか呼ばれる人たちは、このテの思考に陥りがちなのだ。冷徹に「何が利益なのか?」を計算し、「お客様は神様です」と言ってしまえる商売人になり切れない。
我々が生きている高度消費社会の主役は、広告主と消費者だ。だからコンシューマに対する呪詛の言葉を口に出すことは、広告主を貶すのと並んで現代最大のタブーである。
広告をもらえなけりゃ、メシが食えない。
消費者にモノを買ってもらえなきゃ、おまんまの食い上げだ。
だから俺たちゃ、クライアント様とコンシューマ様の悪口は言えないんだ。
(○○モナー)
【関連エントリ】
『「関係性の病」に侵された人に売れるコミュニケーション・ソング』