きのうぶらぶら龍野を散策してたら、ある寺の掲示板にこんなのが張られていた。
知ったかぶりと知らんふり。
どちらが賢いか?
それはもちろん知らんふり。
知らんふりをすると人はいろいろ教えてくれる。
知識はどんどん増えていく。
知ったかぶりをすると自分の知識を出すだけ。
もう誰も教えてくれない。
そしてやがてすぐにその知識を底をつき、同じことを何度も繰り返し、聞く人に迷惑がられる。
科学とは何か?
それは知らないことを知らないと認め、それを知ろうとすること。
知らないことを知ったかぶりするとそこで進歩は止まる。
知ったかぶりはもっとも非科学的なことなのだ。
というわけで自分でも知ったかぶりをしないように気を付けている。
そしていつも知らんふりをする。
でもこれって賢いから?
いえいえ、実は単にしゃべるのが面倒なだけ。
話をするには顎の上下運動をしなければならない。
それが何とも煩わしい。
その点、聞くだけならそんな運動はいらない。
聞きたいことは聞いたらいい、聞きたくないことは聞いてるふりをして他のことを考えたてたらいい。
もともと無口な人間だけど、近年ますます無口になった。
このままではそのうち息をするのも面倒になるのではないか?
実はとっても真剣に不安になっている。
でも息はまだいい。
そのうち心臓も動くのが面倒くさくなって「やぁ~~めた!」と言って動くことをかもしれない。
でもさすがに突然そう思われても困る。
ぜひ前もって「やぁ~~めた!」という時を知らせてほしい。