何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

微笑みたまえ

2019-11-14 13:31:46 | 詩はあいまいな哲学
商業とか工業とかいう公共生活においては、大変うまくやれることでも、
私生活も同じようにうまくいくとは限らない。
誰でも自分の感情の上に寝そべるものだ。
眠るためならそれもいい。
家庭という(誠実さが)半眠状態の中ではすべてのことが角立ってくる。
その為善良な人たちが恐るべき偽善者になることがある。

意志の力によって体操教師のように全身を動かし感情を変えるべきなのに
不機嫌、倦怠、悲哀なども雨や風のように事実なのだという考えは実は先入観であり
本当の礼儀とは自分が為すべきことを感ずることである。

人は敬意や慎みや正義に対して大いに義務がある。
正義に敏感に立ち返ることは泥棒のする行為ではない。
愛情は自然なものではない。
真の感情というものは作り出されたものだ。

音楽は声楽さえも意志によってのみ支えられている。
優雅さが後から来るのは神の恩寵(グラース)は人間の意志に支えられ
後から来るものと神学者たちもしばしば言う。
しかし神学者たちは自分が言っていることの意味をよく知ってはいないだろう。

幸福論 アラン

Mushroom Hunter - คนกลัวเมีย (Official MV)



高価な(骨の)髪飾りをプレゼントしたかったんですね。
価値は誤解した奥さんが笑顔を手向けてくれた喜び。

求めないで優しさなんて
臆病者の言い訳だから

勇者は自分から愛し捧げることを望む。
行動することを望むのであって、忍従することを望むのではない。
誰一人として強制労働を好みはしない。

しかし自分から自由に苦労するならばたちまち満足する。
コメント
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