もし僕が人間を自然の中にあって、
絶えず万物から攻撃を受けている生物と理解するならば、
人間が不完全であるのは必然的である。
その場合、精神が様々なものを受け容れていること、
そしてそれらのものが、真の思想をなすかどうか知る前に、
まずそれらを言い表していることは明らかであるから。
そこから人間の思想は不完全であること、
否、人はすべて嘘つきであると結論されるだろう。
なぜなら、衝撃に対する反応はすべて、一つの身振りであるから。
この身振りは必ず虚偽である。
我々は真摯な人間の最初の素描をすることが出来る。
真摯な人間とは最初の身振りを抑える人である。
この意味では自分がはっきり変わったような身振りを
友人に見せるものは真摯と言うべきではなく、
我々の判断は世人のそれではない。
君は大胆な予科によって、道徳がアプリオリなものであることがわかる。
このような省察によって精神は哲学することが出来る。
哲学によって我々は精神を知る。
親愛なる哲学者よ、僕は今君にこの難問を与える。
なぜなら、この難問の中に
我々の些細なトラブルを思想に変える美しい、偉大な懐疑が含まれているから。
ความฝันกับจักรวาล ≠ bodyslam「Official MV」