何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

ヒカルちゃんが(いる)

2020-07-29 15:56:34 | 詩はあいまいな哲学
存在を疑うことを判断の停止といい
判断の停止を行えることを自由と呼ぶ。

自由は欲望に支配されることで終わるもの。

時を満たす宇宙のファンタジー?
泣いている人でさえ笑顔に出来る人は
連鎖の中での存在ですらない。
意味を教えてはくれなくとも支えてくれる存在ですね、

宇多田ヒカル『Time』


猜疑心の強い耳は静寂な夜であっても、聴く耳を持たぬ人でも
自分の声を自分が一番聞いてもいるもので
次に来るものも不安の付きまとう連なりのように思われる。

自然な声には愛情があれば気配りはいらないと思われている。
人間の声が不適切に表現する生の情念を適切に取り除くこと
更に言えば様々な言い方の中に他の者より緊密で
豊かで心を打つものを目指しているのが唯一詩だけであること。

共同作業の数は奇跡の数。
慣れ親しんだ長く続く仕事に、努力と戯れと休息が表れる。
まだ数の欠けているとこと、把握されているところから
期待が生じる、奇跡でも見るように。
そしてそれはあなたを頼みとする敵(欲望)であった。

与えられた道に列挙されるやり方がそれ以上であるかどうかの証明を求められる。

自由時間は、欲望の実行が妨げられることで失うが
欲望のないところに不自由も自由もなく、
他人からの期待と称賛を証明とも思わず
自身で充実する仕方での合唱は美しい友情も成り立つことに信を置く。
コメント
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