視覚は理性の輝きを
聴覚は魂の普遍性を
触覚は遮ることない充足を
คนตัวเล็ก - POTATO「Official MV」
「知識とは感覚である」
――これがプロタゴラスの説であるが、
更に、万物流転を説くヘラクレイトスを合流せしめる。
するとどうなるか、感覚も刻々変化し、その対象も又刻々と変化する。
だから「あれよりもこれ」ということはない。
正しい考え方とは正しい考え方がないということだ。
然し私たちは生活している。
何らかの興味深い意見に支えられなくてはならない。
――これがプロタゴラスの説であるが、
更に、万物流転を説くヘラクレイトスを合流せしめる。
するとどうなるか、感覚も刻々変化し、その対象も又刻々と変化する。
だから「あれよりもこれ」ということはない。
正しい考え方とは正しい考え方がないということだ。
然し私たちは生活している。
何らかの興味深い意見に支えられなくてはならない。
プロタゴラス説が大手を振って横行する
「この地上」と「不死なる永生」に関わる考察は
肝心なことを告げていない。
本来いつも大きいもの、
小さいものを考えてみようとする人は笑われるのだ。
なぜなら大きいと言われてならぬ小さいものも存在しないし
小さくないような大きいものも存在しない。
イデア(模型)は心で理解すべきだということだ。
イデアを考えるようになるまで
人間の模型はずいぶん回り道をしなければならない。
三次元世界から二次元の世界に降り立ったリンゴは
四角い生物に「こんにちは!」と挨拶した。
家の中に誰もいないのに体内から声が聞こえて四角い生物は驚いた。
平面国に住む生き物にとって見ることが出来るのは
点や部分の断面だけである。
四角い生物は、リンゴがどこからともなく一つの点となって現れ、
次第に大きな〇となっていく奇妙な生物を目撃するが
「俺の頭が変になったのかな?」と不思議がる。
じれったくなったリンゴは、
四角い生物をつまみ上げて上空へ投げ上げた(教養)。
四角い生物は三次元の世界へと昇っていった。
四角い生物には何が起こっているのか全く見当がつかなかった。
経験したことのないことだったからだ。
彼は二次元の連中も、上空から見れると気がづいた。
彼は特別な破壊的な見方が、
高い次元の旅をして出来るようになったのである。
もっと次元(現場軸の、当事者としての)を増やしたり
反転させてみたり、視点を変えれば
真実を見抜く力を養っていく。
他人の厳密に模写され増産された思考さえ、
感覚以上に真実から遠ざかっている情報や表現はあることに気付ける。
非破壊で内部の事情を観察できるエックス線や
現実の模写(特性)を勝手フォーカス(鮮明、照応)にする。
拡大させるプロジェクター映像は現実の大きさとの相関ではない。
お金(媒体)の流れの推測で
価格ではなく価値の諸事情を嗅覚で感じれたり。
「人は万物の尺度」
経済や娯楽、宇宙、創造芸術、化学科学、の観点から見ると
自分が使用済みの紙屑の価値よりは小さく見え、
自分を含めた自然や命の循環はその包容力観点から見ると
等価か天文学的規模に見えていたり。
退屈紛らしにでもと慣らしたものが
とてつもなく大きなモンスター存在であったことに気付いたり。
惑星が球体ではなくて半球であるのは
欠落が私の特徴になってるともいえるし、
満たしを大いに求める理由でもあり、
不完全な気持ちにいつかの死は、
再生をかけて生と補完し合ってることでもありそう。
この作品は気付き方、考え方の御馳走です。
興味をそそられ美味しかった。(味覚)
人が描いた絵との関わり方には現実の距離感も大事。
誤解されるようなことは避けたい。無理とか。