何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

運動と記号の力

2021-09-07 13:23:20 | 詩はあいまいな哲学

知覚は部分を持たず分別できないこの統一共同が
実体鏡の理屈なり扱いなりに親しみも湧こうというものだが、
覗いてみると浮き彫が目に飛び込んでくるように思われる。
距離と思われる距離だ。

運動は一つの分割できない全体で
運動するものは色々な位置を順次に占領し
僕らの知覚は運動を全体として位置など一度にとらえている。
運動する事実より、運動しないその考えで
その考えによる運動だ。
予想した道に沿った運動なので、
定まった点の間の糸は僕らが握っている。

言語は僕らが勝手に作ることが出来る不思議なもの。
言語という公房は音楽の深処から代数学の頂点までも及び
精神を如何に陥穽(かんせい)に引き入れるか関心するが良い。

文字を見ただけで頭の中に直に話しかけられる。
文字を書くことは遠く離れた別の時代であっても
お互い知らない人たちとを結びつけ
おそらく人間の発明の中でもっとも偉大なものだろう。

文字は定着された身振りに他ならぬが、
目が魔術的な叫びを列挙することを知り、
変わった記号の力を見つけ出す努力が常に払われようとする。

私たちは、遺伝子が知りうることより
遥かに多くのことを考え出さなければならない。
よちよち歩きの子供の振る舞いを見ても明らかなことだが、
私たちは学習への情熱を持っている。
人間の与えるとか叩くとか、逃げるとかいう行為は
つまり運動だがそういう行為というものこそ
僕らが世界中で一番興味を感じているものだ。

子供にとってあらゆる幸不幸は行為に由来し、
興味を感ずる唯一のものだ。
この行為というものが私たちの最初の記号であって、
色々な記号によってとてつもない問題の領域を描いて
私たちが生き延びるための道具とし改良を重ね単純化した。
それは人間が魔法を使えることの証明である。

感情とか宗教的儀式の行動とかは、
私達の心の中の奥深いところに構築されている。
それらは私たち人間性の一部である。
多くの動物たちにも感情(勘定)はある。
人間が他の動物と違うのは優れた思考能力を持っていることである。

大脳皮質は私たちを解放してくれた。
私達はもはやトカゲやヒヒのように
遺伝的な行動様式に縛られている必要はないのである。

自分の脳の中に何を詰め込むか、
大人として何の世話を焼き、何を知るべきかを決め、
自らを変えることが出来るのである。

思考の世界は大まかにいって二つ。
大脳皮質の右半球は図形認識、直観、感覚、想像力を担当している。
左半球は理性、分析力、批判的思考力を担当している。
この想像力と分析力の両極に絶えず対話が行われ続け
アイデアを生み出したり正しいのか常にテストして
発揮される芸術の力によって
世界を錯乱せず理解する必要を持たされている。

ツベは時間の足かせを断ち切る。
私たちは大日本帝国の興亡や種の起源や、
夢の解釈、全科学の応用、
幾多の芸術作品を発見することが出来る。
ツベは最も将来性のない土地にも花を咲き誇らす種子のようだ。
(回し者ではありません)

閃靈CHTHONIC【合掌】One Thousand Eyes Official Lyrics Video
2019-08-03 22:08:09の再編
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盲目のプロデューサー

2021-09-07 11:03:09 | 詩はあいまいな哲学
目は絶えず動きの遠近法に捕らえられ
それによって空気が物となり、空間が大きくなる。
なので表現しようとする者との事情はうまく合致しない。
訓練された眼は、そこに塊と中心と付属物とを捉える。
先入観の置かれた存在理由は求めるとおりに現れてくる。

手は遮るもののない人や物しか感じ取れない。
その名や共通点のことなど知ることなく確かめる。
訓練された掌が訴えるのは
親しんだ記憶と忘却の全体で、
未来の欠片達への屈服しきれなさで経験を共にさせる。

詩は喜びを与え、苦悩を支え、自分の祈りの声を聴く。
散文は人を誘うのではなく反対に引き止め、突き返す。

散文は克服しなければならない。
理由付けの助けなしに判断し責任を負う。
判断力を阻害する予言者風の動きに警戒の目を光らせ
回復と拒絶と着服をしなければならない。

未来の希望は掌が把握している。
不可能なことを持って人は人を責め立てることをしない。
心を揺さぶる問題にも外見なきまま進める。

Mr.Children 「掌」 MUSIC VIDEO

掌(てのひら)
「掌にする」・・・自分勝手に支配すること
「掌に握る」・・・自分のものにすること
「掌の中(うち)」・・・物事が思い通りになること
「掌の玉」・・・愛し子や愛妻、もっとも大事にしているもの
「掌を合わす」・・・手を合わせて祈ること
「掌を返す」・・・急に態度やものの考え方などが大きく変わること
「掌を反す(かえす)」・・・物事が容易にできること
「掌を指す」・・・物事が明確で分かりきっていること
「職掌(しょくしょう)」・・・職種、職業、責務


掌:やまとことば(たなごころ)

「た」は「て」の交替形
たむけ(手向け)たおる(手折る)など

「な」は「の」の連帯助詞
「たな」は「手の」の意味

「たなごころ」は手の心を意味し、「こころ(心)」は中心の意味と
うら(裏)と同源とされる。

掌の「尚」は窓、八印(発散する)からなり、
窓から空気が上に広がるさまを現す。

掌握力=手に理解と心を集め大切に離さぬようにすること。
2020-04-17 20:38:30の再編集
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