何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

誰もが探し引き戻る

2023-06-07 19:51:00 | 詩はあいまいな哲学
世界中が不況な最中で試される内面の安寧と世界秩序。
連帯感や世代間での教育の差、民族意識が強まりますね。
そんな歴史の繰り返しで考え尽くされ、深められたり照らされたり
真なる自由を掴むものだってあるようです。

避難所は控えめで
自然に叶った無駄のなさ
丁度望んだだけの美しさ
愛という特権は己の快楽に関連させない
強い情動によってしか美しくない

如何なる人間にでも目前に友情世界を所有し実在する。
お前の孤独を守り抜け、そんな日がくるならば。

เพื่อชีวิตกู - TaitosmitH |Official MV|
2022-01-29 15:56:37に追記
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used to be (自分の物差し)

2023-06-07 12:12:31 | 詩はあいまいな哲学
自分が楽になるために「私について」色々書きだしてみようと思います。

仕事覚えが悪く、やってもやっても効率が上がらないのを見て
「仕事が出来ないのは生きる資格ない」とか
「お前は俺をバカにしているのか」とそんなはずないのに言われて
鬱になって視野が狭くなって、
自分の気持ちを裏切ってまでもっと無理しなきゃとなってる。

生活の為仕事辞めれないから「これから気を付けます」と
反省してる振りしても
特定の人から無理難題を強いられたり、睨まれたり、
大声で長々怒鳴られるパワハラになり、
その内なんとなく放置、ある人からは完全に無視されると同時に、
周囲を巻き込んでセクハラも始まり(泣)
諸悪の根源は私みたいされて居たたまれなく自主退社となる。

確かに小さくとも多くのミスしたり遅刻したり周りに迷惑かけて
信用を自分から下げてきたからだけど。
失った信用を取り戻すのは普通以上に難しい。

自分から努力することを嫌って義務的なことも何事も中途半端で
真っ直ぐに学ぶことも得ることもなく、権利ばかりを主張し
それを頑張ったつもりの無理を通した挫折だといい、
結局何の才能も得られず、誰からも信用もされず人間不信で
自堕落してるだけなのに弱者を装って悲観的になって閉じこもっている。

それを誰も信じてくれない、誰も優しくしてくれないからと、
まるで自分には全く罪がない悲劇のヒロインみたく思い込んでいて
周囲に合わせることも理解することもないまま年ばかり取って
しまいにはなぜか平気で周囲に迷惑をかけておきながら臆病で
依存心剥き出しになってきて
自分がしたちょっとしたことには恩着せがましく
どれだけ周囲に優しくされても満足することも感謝することも出来なくて、
それだから周囲からどんどん嫌われて離れられてしまっている。

欲しいものを手に入れても何も生み出すことなく進歩せず
無駄に浪費しては使い果たし後悔すでに遅し
大切なものはいつまでも手に入れられない孤独な日々。

仕事も何とか努められて僅かにでも優しさに包まれていた
その頃に高望みもした儚い夢を懐かしんで
過去の執着だけに生きる寂しい人間になってしまった。

自分以外のことに頭も使えないという痛い奴なのに
姿も年々醜くなり、人の器というものも成されず中身も全くない。
人真似や人が苦労して成し得たものを拝借してその場を繕うばかりしている。

闇タロット、因果応酬占いをよく見る。娯楽としてですが。
感情的に落ちやすい私は感情論が苦手なのにやはり底意地が悪い
けど特定の個人へ直接的な批判ではないので
不自由な中に自由もあって、ある意味便利に都合よくて
つい甘えてしまっていて。何のお返しも出来ないままでごめんなさい。

他人事でも否定や批判を逆説的に再考する。
「私もそうだな」「可哀想だな」「者は云い様、捉えよう」
「そんな批判の仕方があるんだ」
と色んな意味で客観的に自分にも気付けるし、
間接的な逆説で言えば自分が批判を受ける加害者かもだ。

事実として弱き優しき被害者、そんな自分の弱さが可愛くて
自己満足に過ぎない被害妄想からなかなか抜け出れないが
加害者はそれなりな切迫した事情があったとして
自分可愛さで罪の意識が薄いというがある。

シェークスピアのto be or not to be の使い方
貧しくても切迫した事情や嫉妬心もnot to be
恣意的な心を「持ってない」のが大義ある人生よりまだましで
辛うじて日本は世界と逆の美談がままある。

貧しくても、いくらか収入がある時にリッチな振りは簡単で
気前よく人に振る舞うことなら「その場」の人間関係で上になれる。
知識も経験も立場も不要なジャッジな天秤で将来を幾らか押し上げる。

情念のスタイルは目につくが愛情の形式は見えてこない。
得意げな既製の天秤は賢そうでも内面まで似せ世界を計るのは難しい。
自分で拵えた計りは何らかの損切りをする覚悟がいる?

ไทเท่ - TaitosmitH Feat. ไวพจน์ เพชรสุพรรณ |Official MV|
2023-06-04 14:11:17の再編
2023-06-04 18:47:11の再編
2023-06-07 10:00:22に追記
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お日様スクリーン

2023-06-07 04:54:24 | 詩はあいまいな哲学
彼は光を「目を使わずに見る」という。
光は善にも悪にも等しく注意の眼を注ぎ
対象に注ぐ行為から自動的な現象として
純粋な価値が充満せる作業を生じ
善の定義として人間活動の善を浮上させる。
それが枢要(すうよう)な恩寵(光)である。

光の無為な重力に影響されない行動エネルギーは
外側から獲得され精神作用となって
嘘をつかず『希望、感謝、利他の三原色?』の霊感を
拒まず注意を逸らず守り通せば穀粒のように
重力によって停止したり塞ぎ込んだりせず
自らで栄養を摂り育っていくからだ。

それは間違いなく、彼の経験や実感を表す言葉としての「見える」で
その経験を生み出す上で「おでこ」は能動的な触感機としてより
受動的なスクリーンとして脳と目に近く面的である特徴として
見るを目から切り離し、生理的な死神経の機能を備え
インターフェイスとして採用が効くと思われる。

「見る」をカテゴライズして
「眺める」は状況把握程度に対象を定めずに見ているで
「探す」は自分の今後の行動に関係するか、
 関係するかもしれないについての情報を集めることとなる。
「読む」も情報を視覚以外の器官を使って代用(音読、点字等)
 させて視神経が奪われた人が物を見ることが出来る。

いくら外野で光が降り注いでても
精神上の都合により半年前から外出が困難で日光浴不足、運動不足
「希望、感謝、利他」の人間味三原色に欠けること甚だしい。
私はスピリチュアル、心理学にも疎くて自分が信じられたことがない。
都合のいい話ってのも信じられなくて人としてどうなのよ?だからな。
エボケー状態ででも「希望、感謝、利他」を唱えて人間らしさ見出…(泣)


อรุณ Live - POTATO「Magic Hours Concert」
2023-06-05 07:36:24に追記
2023-06-05 16:19:50の再編
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