誰かが自業自得的に死んでしまったり、不条理的に無慈悲に殺されると
なぜ殺されたのかと道徳的(便意)観点から究明に熱心に語り合われる。
平常ではない病気でとんでもない間違を犯して、
平常ではない病気でとんでもない間違を犯して、
他者の死の原因だとしても、不条理が視聴者と関係のない限り
一生加害者(悪人)として社会から隔離される。
人はいつか老いて役立たずになるのが当たり前で、
人はいつか老いて役立たずになるのが当たり前で、
行為を閉した死体も一切自然なものであるが、
死は凡庸なる偽物のように社会から隔離される。
死んだ瞬間に隠された本物になって、
生きてる偽物が死ぬことを忘れらる理由として生を演じ続け、
生の実感を笑って起き上がる。
道徳とは便意の異名である。
道徳の与えたる恩恵は時間と労力の節約で
道徳の与えたる損害は良心の麻痺である。
良心は道徳を作るかも知れないが、道徳は良心の良の字を造ったことはない。
道徳とは便意の異名である。
道徳の与えたる恩恵は時間と労力の節約で
道徳の与えたる損害は良心の麻痺である。
良心は道徳を作るかも知れないが、道徳は良心の良の字を造ったことはない。
北野武「新しい道徳」より
本物だか偽物だかよくわからない頃のミラクルひかる
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