この前の日曜日、先日壊れかけた携帯電話の機種変更に、家人と出かけました。家人の携帯も古くなったので、買い替えようということでした。元来、ふたりともメールを使う程度のユーザーですので、毎月3000円くらいの使用料です。ですのでポイントもそれほど貯まっていません。高価なものには目もくれず、それほど機種を選ぶこともなく、毎月1000円少しの24回払いでOKのものに替えて、諸手続きをして帰りました。思ったよりも時間がかかり、いつもの日曜日、恒例の昼下がりのお昼寝ができず、睡魔に襲われる週明けになりました。新しい携帯は、なかなかいいです。でもおもちゃみたいですねえ。
それで今回は、なんとドビュッシーであります。ブログ初登場です。先日友人にこんな作曲家も取り上げて下さい、と言われまして…。でも最近トンと聴かない作曲家なんですねえ。レコードの時代には、何枚か持ってましたが、ここ20年の間には、おそらく数枚のCDを買ったくらいだと思います。なぜ聴かなかったのか。私がフランスが苦手ということもあるかもしれませんが、どうも、この手の傾向には馴染めないんですかねえ。嫌いとか、聴きたくない、というのとは違うんですね。うーん、何と言えばいいのでしょうか…。そんな作曲家でも数枚は買っているので、これまた不思議でもあります。
まあ、それはそれとして、ドビュッシーの前奏曲集第1巻であります。これは第1巻と第2巻がありますが、それぞれ12曲から構成されており、その点では、バッハの平均律グラヴィーア曲集やショパンの24の前奏曲集の形式を踏襲してます。しかし、24の調性の曲から構成されておらず、その代わりに、それぞれの曲に標題がつけられています。最初から標題を見て聴いても、よく理解できませんが、曲をじっくり聴いてから見ると、それなりに納得しますね。そんなもんか、って思ってしまいます。全曲をじっくり聴くと、ドビュッシーの目指した音楽の響きがよく耳に入って聴きます。なかなか耳について離れないですね。
この曲、演奏はアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのピアノ。1978年の録音です。ミケランジェリは、稀に見る完璧主義者で、そのせいか録音も少ないし、コンサートもキャンセル魔として有名なピアニストです。しかし、その分残された演奏は素晴らしいものですね。このドビュッシー、完璧といってもいい演奏ではないでしょうか。まず、正確無比なピアノタッチから生み出される音色の鮮明さには驚かされます。高音から低音まで、ドビュッシーの音楽にはこのような正確な音色が必要不可欠と思われます。イメージした風景が現実のものとなって出現するには、このような混じりっけや濁り具合を排除したピアノが必須です。また、ダイナミックで鮮烈な演奏はひとつひとつの音が、神経に突き刺さるようです。それだけ刺激的なドビュッシーであります。そして、ドビュッシーの描く風景にふさわしく、ピアノからこれほど色彩感に満ちた表情が豊かな音楽もなかなか聴けないですよ。12曲、どの曲も深く印象的な演奏なんです。まず「ヴェール(帆)」では幻想的な風景が高低の幅広いピアノで描かれています。「アナカプリの丘」では、高音の澄んだ鮮烈な美しさが素晴です。「西風の見たもの」は、無機質的な音楽で、ピアノのタッチの正確さを強く感じるとともに、次の「亜麻色の髪の乙女」の叙情的なうつくしさとうまさを強調してくれていますね。そして、「沈める寺」、これが一番のお気に入りなんですが、乾いた澄み切ったピアノの壮絶な演奏の美しさは比類なきものですね。ミケランジェリのドビュッシー、聴けば聴くほど味が出来ますねえ。
私の持っているCDは、1巻だけのもので、収録時間は40分ほどです。もっと聴きたいですね。現在は、映像第1集・第2集があわせて収録されてるんです。お得ですね。
(DG 413 450-2 輸入盤)
それで今回は、なんとドビュッシーであります。ブログ初登場です。先日友人にこんな作曲家も取り上げて下さい、と言われまして…。でも最近トンと聴かない作曲家なんですねえ。レコードの時代には、何枚か持ってましたが、ここ20年の間には、おそらく数枚のCDを買ったくらいだと思います。なぜ聴かなかったのか。私がフランスが苦手ということもあるかもしれませんが、どうも、この手の傾向には馴染めないんですかねえ。嫌いとか、聴きたくない、というのとは違うんですね。うーん、何と言えばいいのでしょうか…。そんな作曲家でも数枚は買っているので、これまた不思議でもあります。
まあ、それはそれとして、ドビュッシーの前奏曲集第1巻であります。これは第1巻と第2巻がありますが、それぞれ12曲から構成されており、その点では、バッハの平均律グラヴィーア曲集やショパンの24の前奏曲集の形式を踏襲してます。しかし、24の調性の曲から構成されておらず、その代わりに、それぞれの曲に標題がつけられています。最初から標題を見て聴いても、よく理解できませんが、曲をじっくり聴いてから見ると、それなりに納得しますね。そんなもんか、って思ってしまいます。全曲をじっくり聴くと、ドビュッシーの目指した音楽の響きがよく耳に入って聴きます。なかなか耳について離れないですね。
この曲、演奏はアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのピアノ。1978年の録音です。ミケランジェリは、稀に見る完璧主義者で、そのせいか録音も少ないし、コンサートもキャンセル魔として有名なピアニストです。しかし、その分残された演奏は素晴らしいものですね。このドビュッシー、完璧といってもいい演奏ではないでしょうか。まず、正確無比なピアノタッチから生み出される音色の鮮明さには驚かされます。高音から低音まで、ドビュッシーの音楽にはこのような正確な音色が必要不可欠と思われます。イメージした風景が現実のものとなって出現するには、このような混じりっけや濁り具合を排除したピアノが必須です。また、ダイナミックで鮮烈な演奏はひとつひとつの音が、神経に突き刺さるようです。それだけ刺激的なドビュッシーであります。そして、ドビュッシーの描く風景にふさわしく、ピアノからこれほど色彩感に満ちた表情が豊かな音楽もなかなか聴けないですよ。12曲、どの曲も深く印象的な演奏なんです。まず「ヴェール(帆)」では幻想的な風景が高低の幅広いピアノで描かれています。「アナカプリの丘」では、高音の澄んだ鮮烈な美しさが素晴です。「西風の見たもの」は、無機質的な音楽で、ピアノのタッチの正確さを強く感じるとともに、次の「亜麻色の髪の乙女」の叙情的なうつくしさとうまさを強調してくれていますね。そして、「沈める寺」、これが一番のお気に入りなんですが、乾いた澄み切ったピアノの壮絶な演奏の美しさは比類なきものですね。ミケランジェリのドビュッシー、聴けば聴くほど味が出来ますねえ。
私の持っているCDは、1巻だけのもので、収録時間は40分ほどです。もっと聴きたいですね。現在は、映像第1集・第2集があわせて収録されてるんです。お得ですね。
(DG 413 450-2 輸入盤)
ミケランジェリの前奏曲は、私も愛聴しています。後、グルダの若い時の録音も、時々聴いています。
次は、ぜひとも「交響詩・海」などの管弦楽曲もお取り上げ下さい。
期待いたしております。