
今回は、シベリウスの4回目であります。5番・2番・3番と続いて、今回は7番。シベリウス最後の交響曲。そうはいっても、これが作曲されたのが1924年。シベリウス59歳のとき。そしてシベリウスの逝去は1957年91歳ですので、この曲を作ってから、30年以上も、交響曲は作らなかったんですね。そのあたりの事情はよくわかりません。ただ、言えるのはその年月は惜しかったですねということくらいでしょうか。この7番は、全体でも25分かかるかかからないかという曲。全体も珍しい単一楽章の構成を取っています。それゆえ、この曲を交響曲とするかどうか、例えば交響詩とすべきかとか、いろいろな議論がされています。まあ、作った人が、これは交響曲だ!といえば、交響曲なんですね。
そんな風な交響曲第7番ハ長調作品105であります。演奏は、ムラヴィンスキーやバルビローリ、ディヴィスなどのものが手元にありますが、最近入手したカラヤンとBPOのもので行きたいと思います。1967年の録音で今から40年前、DGによるものです。DGへは1960年代後半に4~7番の録音があります。カラヤンの7番の録音は、おそらくはこのDG盤が唯一のものでしょう。先日、岡山の中古やさんで見つけました。4・7番と5・6番の二枚。あわせて1400円ほどでした。
それで、この7番の演奏。カラヤンのものを取り上げた理由は、この演奏が極めて美しいんですね。美しさあふれるBPOを、カラヤンが磨きをかけて、極上の演奏に仕立て上げたものです。この美しさの前には、他の演奏がかすんで見えたのでした。最初からやってくれます。冒頭からの演奏、これがまたいいんですねえ。ゆったりとしたテンポの中で、低い弦の調べに木管を中心に金管もときおり絡みながら、音を確かめるような、また共感に満ちた演奏が進んでいきます。そして、弦楽合奏が、これまた分厚い弦の低音に支えられ、ゆったりと進んでいきます。それは、次の展開を大いに期待させる調べが、徐々に、また雄大に盛り上がっていくんですね、そして、いよいよトロンボーンによる主題が登場。このトロンボーン、もう少し大きく盛大にやってくれないかな、とも思うのですが、そのがカラヤン。小さくもなく大きくもない中庸の面持ちで、極めて素直に朗々と響かせます。その中庸が後々まで深く心に残るんですねえ。心憎いばかりの演出か、と思います。このトロンボーンは、あとにも幾度か登場します。その度に巧さを実感させてくれますよ。それからも、たいそうゆったりとスケールの大きなシベリウスが展開されます。弦の合奏の素晴らしく、金管も極上の音を響かせる。その美しさと言えば、これ以上は表現できませんねえ。
ただ、それだけやないか、という声も聞こえてきそうですが、今の私にはそれだけで十分。これこそがカラヤンでしょう。
(DG POCG-6055 1998年)
そんな風な交響曲第7番ハ長調作品105であります。演奏は、ムラヴィンスキーやバルビローリ、ディヴィスなどのものが手元にありますが、最近入手したカラヤンとBPOのもので行きたいと思います。1967年の録音で今から40年前、DGによるものです。DGへは1960年代後半に4~7番の録音があります。カラヤンの7番の録音は、おそらくはこのDG盤が唯一のものでしょう。先日、岡山の中古やさんで見つけました。4・7番と5・6番の二枚。あわせて1400円ほどでした。
それで、この7番の演奏。カラヤンのものを取り上げた理由は、この演奏が極めて美しいんですね。美しさあふれるBPOを、カラヤンが磨きをかけて、極上の演奏に仕立て上げたものです。この美しさの前には、他の演奏がかすんで見えたのでした。最初からやってくれます。冒頭からの演奏、これがまたいいんですねえ。ゆったりとしたテンポの中で、低い弦の調べに木管を中心に金管もときおり絡みながら、音を確かめるような、また共感に満ちた演奏が進んでいきます。そして、弦楽合奏が、これまた分厚い弦の低音に支えられ、ゆったりと進んでいきます。それは、次の展開を大いに期待させる調べが、徐々に、また雄大に盛り上がっていくんですね、そして、いよいよトロンボーンによる主題が登場。このトロンボーン、もう少し大きく盛大にやってくれないかな、とも思うのですが、そのがカラヤン。小さくもなく大きくもない中庸の面持ちで、極めて素直に朗々と響かせます。その中庸が後々まで深く心に残るんですねえ。心憎いばかりの演出か、と思います。このトロンボーンは、あとにも幾度か登場します。その度に巧さを実感させてくれますよ。それからも、たいそうゆったりとスケールの大きなシベリウスが展開されます。弦の合奏の素晴らしく、金管も極上の音を響かせる。その美しさと言えば、これ以上は表現できませんねえ。
ただ、それだけやないか、という声も聞こえてきそうですが、今の私にはそれだけで十分。これこそがカラヤンでしょう。
(DG POCG-6055 1998年)
カラヤンのシベリウスは5番と7番の入ったCD1枚しか持っていません。そこで7番の録音した年を見てみると、1967年となっていました。
先ほど久しぶりに聞きなおしました。いいですね!美しさと深みを感じさせてくれる演奏だと思います。
C.ディヴィス/ボストン響盤は3,4番で止まってしまって、まだ7番までたどり着いていません。
今回、最初の部分を書きすぎたため、曲の全体が見渡せませんでした。全体を通しても、ほんとカラヤンの美意識に貫かれた演奏と思います。私もデイヴィス盤はまだすべてが聴き切れていません(笑)。
先週末実家でこのカラヤンの演奏を聴きました。枯淡の境地のようなこの曲を、まばゆいばかりの美で彩っていて、素晴らしいです。まるで日の出をゆっくり眺めるかのようです。
最近、カラヤンの演奏を聴くことが多く、これは一昔前なら、自分にとっては考えられなかったことですね。このシベリウスもいいですよね。シベリウスが意図したことと、合致しているかどうかは別にして、これはこれですごい演奏と思います。