年明けと共に、寒さが厳しくなってきました。私の勤務地は瀬戸内に近いとこなので、それほど厳しい寒さというわけでもないのですが、それなりの寒さであります。先週、岡山でいつも行くVANのお店(VAN HOUSE OKAYANA)がバーゲンなんで、何か安いものはないか、と顔を出しました。店長さんにいろいろと勧められたのですが、その中でベストを買うことにしました。実は私は、ベストを着る習慣がないのです。若いころからブレザーやスーツの下はシャツだけ、と頑固?なポリシーを貫いてきたのでした。しかし、ふとベストもいいな、って思うようになって、今回買うことにしました。で、早速着ていったのですが、これがけっこう暖かいのです。今まで着なかったのは、単に「伊達の薄着」に過ぎないな、と確信した次第です。これも加齢に寄ることかも知れませんね。
そんな寒い中、北欧の音楽を。といってもシベリウスの交響詩『フィンランディア』であります。実は私、この誰もが知っているこの曲を、まじめに聴いたことはこれまでなかったんです。なぜか、と言われても、食べず嫌いですね。それが何故聴く気になったのかというと、私がよく訪れる「俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末」(http://analogjun.blog99.fc2.com)という秀水小田敦さんのブログで、この曲に言及されておられまして、その中で「なんだか水戸黄門の音楽に似ているようなフレーズがあって、つい、そこんところは、「じーんせい楽ありゃ、苦ーもあるさー」と口ずさんでしまいます。なかなか快調です。」という一文に目が行きまして、これは一度聴いてみようと思った次第です。
とは言え、わが家にこの曲は果たしてCDはあるのだろうか、と思いしばし考えてみましたら、コリン・デイヴィスとボストン響のものがありました。これを岡山に向かう車中で何回か聴きました。そこではほうほう、けっこう聴きやすいものよのう、と言うくらいでした。それで連休中に、そうそう、この手の曲はカラヤンが得意なはずだ、と思いカラヤンのシベリウスを捜しました。いくつかある中で、EMIの1970年代のBPOと、1950年代のPOとのものが、かのEMIのカラヤン全集の中に見つけました。ミチョランマ化しつつあるこの全集があればこそでした(笑)。加えて、バルビローリのものもありました。まあ、買う気がなくてもこれくらいの超有名曲になると数種類は付いてくるものであります。
いくつかの演奏を聴いてみるに、一番に強く印象に残ったのは、カラヤン指揮のBPOの演奏でした。カラヤンは、この曲を5回録音しています。POと2回、BPOと64、76、84年の3回です。今回の演奏は、BPOと1976年に録音したもの。これは、カラヤン全盛期のものです。
最初からBPOの分厚い音を駆使して、もう凄いのなんの。一縷のスキもない演奏です。まず金管による序奏の分厚いこと。そして、木管と弦による悲痛な叫び。この心情を吐露するような泣きはドラマティックです。そして金管による基調となるリズムが打ち出され、曲は活発で明快な流れに突入します。「ダイハード2」のラストで聴かれたフレーズが登場し、曲はいやが上にも盛り上がります。このあたりのカラヤンの演奏は見事ですよ。聴かせるつぼを心得ています。そして、曲は「フィンランディア讃歌」に歌われた美しい旋律が聴かれます。ここでもBPOの優れた合奏力を背景に、フィンランド人を奮い立たせるようなメロディが切々と歌われます。 悲痛な叫びがたいそううまく表現されています。そんなカラヤンの演奏には、この曲にシベリウスが込めただろうフィンランド人の心情を、訴えているかと言えば、そんな背景はあまり意識できないのです。しかし、カラヤンとBPOによる見事な演奏を前にするなら、そんなこともまあいいや、って思ってしまうのでした。いやー、10分に満たない演奏ですが、満腹になってしまいますねえ。やはりカラヤンはすごいです。
(EMI Karajan THE COMPLETE EMI RECORDINGS 1946-84 2008 輸入盤)
そんな寒い中、北欧の音楽を。といってもシベリウスの交響詩『フィンランディア』であります。実は私、この誰もが知っているこの曲を、まじめに聴いたことはこれまでなかったんです。なぜか、と言われても、食べず嫌いですね。それが何故聴く気になったのかというと、私がよく訪れる「俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末」(http://analogjun.blog99.fc2.com)という秀水小田敦さんのブログで、この曲に言及されておられまして、その中で「なんだか水戸黄門の音楽に似ているようなフレーズがあって、つい、そこんところは、「じーんせい楽ありゃ、苦ーもあるさー」と口ずさんでしまいます。なかなか快調です。」という一文に目が行きまして、これは一度聴いてみようと思った次第です。
とは言え、わが家にこの曲は果たしてCDはあるのだろうか、と思いしばし考えてみましたら、コリン・デイヴィスとボストン響のものがありました。これを岡山に向かう車中で何回か聴きました。そこではほうほう、けっこう聴きやすいものよのう、と言うくらいでした。それで連休中に、そうそう、この手の曲はカラヤンが得意なはずだ、と思いカラヤンのシベリウスを捜しました。いくつかある中で、EMIの1970年代のBPOと、1950年代のPOとのものが、かのEMIのカラヤン全集の中に見つけました。ミチョランマ化しつつあるこの全集があればこそでした(笑)。加えて、バルビローリのものもありました。まあ、買う気がなくてもこれくらいの超有名曲になると数種類は付いてくるものであります。
いくつかの演奏を聴いてみるに、一番に強く印象に残ったのは、カラヤン指揮のBPOの演奏でした。カラヤンは、この曲を5回録音しています。POと2回、BPOと64、76、84年の3回です。今回の演奏は、BPOと1976年に録音したもの。これは、カラヤン全盛期のものです。
最初からBPOの分厚い音を駆使して、もう凄いのなんの。一縷のスキもない演奏です。まず金管による序奏の分厚いこと。そして、木管と弦による悲痛な叫び。この心情を吐露するような泣きはドラマティックです。そして金管による基調となるリズムが打ち出され、曲は活発で明快な流れに突入します。「ダイハード2」のラストで聴かれたフレーズが登場し、曲はいやが上にも盛り上がります。このあたりのカラヤンの演奏は見事ですよ。聴かせるつぼを心得ています。そして、曲は「フィンランディア讃歌」に歌われた美しい旋律が聴かれます。ここでもBPOの優れた合奏力を背景に、フィンランド人を奮い立たせるようなメロディが切々と歌われます。 悲痛な叫びがたいそううまく表現されています。そんなカラヤンの演奏には、この曲にシベリウスが込めただろうフィンランド人の心情を、訴えているかと言えば、そんな背景はあまり意識できないのです。しかし、カラヤンとBPOによる見事な演奏を前にするなら、そんなこともまあいいや、って思ってしまうのでした。いやー、10分に満たない演奏ですが、満腹になってしまいますねえ。やはりカラヤンはすごいです。
(EMI Karajan THE COMPLETE EMI RECORDINGS 1946-84 2008 輸入盤)
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