12月31日(土) 

あれは半世紀以上も前のこと。秩父の山奥の山村に疎開していたころ、東京人、東京人といじめにあい、深夜、人家もまばらな往復一里もある山村を、「火の用心!マッチ一本火事の元!」と、夜番をさせられた母は、男装でカモフラージュして夜番をしたのだった。
また少しでも生活費の糧にと、夜遅くまで分厚い麻の酒袋を繕う内職をして育ててくれた母親。私が東京の大学に入るため上京するとき、バス停にいつまでもいつまでも立って見送ってくれた母親。そんな姿が今でも鮮明に心の中に残っている。
晩年、母は難病の膠原病を患い、有効な特効薬もないまま薬の副作用で骨までボロボロになり、苦しみながら若くして逝った母。仕事の忙しさにかまけ、ろくに介護らしいこともせず、今になって、あれもすれば良かった、これもすれば良かったと、折につけ、後悔の日々がつづく。
昔、下北・恐山に旅したとき、死者に会わせてくれると聞いた。母にもう一度会うため恐山を訪れてみたい。
親孝行したいときに親はなし!というが、母親がいる方が羨ましい。どうか、母親を大事にしてあげてください。


あれは半世紀以上も前のこと。秩父の山奥の山村に疎開していたころ、東京人、東京人といじめにあい、深夜、人家もまばらな往復一里もある山村を、「火の用心!マッチ一本火事の元!」と、夜番をさせられた母は、男装でカモフラージュして夜番をしたのだった。
また少しでも生活費の糧にと、夜遅くまで分厚い麻の酒袋を繕う内職をして育ててくれた母親。私が東京の大学に入るため上京するとき、バス停にいつまでもいつまでも立って見送ってくれた母親。そんな姿が今でも鮮明に心の中に残っている。
晩年、母は難病の膠原病を患い、有効な特効薬もないまま薬の副作用で骨までボロボロになり、苦しみながら若くして逝った母。仕事の忙しさにかまけ、ろくに介護らしいこともせず、今になって、あれもすれば良かった、これもすれば良かったと、折につけ、後悔の日々がつづく。
昔、下北・恐山に旅したとき、死者に会わせてくれると聞いた。母にもう一度会うため恐山を訪れてみたい。
親孝行したいときに親はなし!というが、母親がいる方が羨ましい。どうか、母親を大事にしてあげてください。