いわゆる袴田事件につき再審の決定がなされた。
この決定に関する報道を見ていて思ったことがある。
それは、かって、死刑判決を下したという元裁判官だったという人間が涙ながらに顔をクチャクチャにしながら拳をあげて喜んでいる映像を見た時である。
当時、この裁判官は、自分は無罪だと思っていたが先輩の裁判官の判断に逆らうことができずにやむを得ず死刑判決を書いた、のだという。
これを見たとき、小生は、自己の耳を疑い、同時に、非常な驚きとともに、この裁判官だったという者の人間性を疑わざるを得なかった。
一人の人間が無罪かもしれないのに48年もの長い間獄中生活を強いられその人生をふいにしてしまったのである。
どのような事情があったかは詳しくは分からないが、裁判官たるもの、判決を下す場合、自己の自由な心証に基づき、他から影響を受けず、独自の判断をもって判決を下さねばならない、これが大原則である。上命下服が支配する検察官の場合とは違うのである。
それなのに、先輩の意見に逆らうことができず死刑判決をやむなく書いた、などということは断じてあってはならない。言語道断である。
一番の被害者は、このような不適格な裁判官によって人生の大半を失ってしまった被告人およびその家族たちであり、48年間の歳月は取り返しがつかない。
このようなことは決してあってはならないが、もし、このようなことが今も裁判所の中であるとするならば、日本の裁判、なかんずく刑事裁判はお先真っ暗である。