4月中旬の広島城。
二の丸の次は、いよいよ本丸。
広い敷地の中をどう進んだのかも記憶は薄れてしまいましたが、順路に沿って天守へと近付いているハズ。
その通路は、お堀との間に手すりも無く。
はぁぁ…、と周りに感動しながらキョロキョロするカメラオヤジ。
よそ見のし過ぎで、堀に落ちぬよう気を付けねばなりません。
さて、中御門跡に入ります。
火災で変色した石。
被爆時の火災の熱で、門と一緒に石も赤く焼け、ひび割れているのだとか。
武士たちの戦いから他国との戦争まで。
大きな傷跡を残して続けた城。
ここは本丸下段と呼ばれるのですね。
その中に広島護国神社もありました。
土曜ですから。
結構賑やか。
石段を上り、本丸上段へ。
ここには戦時中の名残りもありました。
広島大本営跡。
明治10年に広島鎮台司令部として建てられた木造建築の洋館。
のちに第5師団司令部庁舎。
明治27、8年の日清戦争では、天皇が戦争を指揮する大本営の建物となったものの、原爆により倒壊。
基礎石だけが残っているもの。
そしてピンク色の花の奥にあるのは、昭憲皇太后御座所跡。
明治天皇の昭憲皇太后が、日清戦争の折に滞在した建物の跡。
もともとは明治23年に第5師団監督部庁舎として建てられた木造洋館も、原爆により倒壊し、基礎石だけが残されています。
さあ、いよいよ天守閣が見えて来ました。
銅製の広島城案内板。
江戸後期の本丸と二の丸の平面図。
天守閣のある一番高いところの石垣。
さあ、入城させていただきます。
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