昨日(9月22日)
上芽室での撮り鉄の帰りは
フィールドワークで晩成社の人々のゆかりの地
西土狩方面を回ってきました
時系列で
上芽室以降の道々の風景も含めて記録します
まず全コースマップと西土狩方面のマップを...
それでは...
上芽室信号場から国道38号を走り
祥栄大橋を越えました
これは冬の風雪を防ぐためのもの
今はスライドしてたたんでいますが
時季が来れば壁になります
(風雪の強いところはどこにでもあるのでは)
裏街道(道道75号)を移動
美蔓丘陵に入って西土狩の丘(自称)を目指しています
気温が20℃ちょっとという感じなので
とても快適なヒルクライムでした
西土狩の丘から
西土狩の丘とは自称そういってますが
お墓の前です
右手にうっすら見える山は剣山
(左端には十勝幌尻岳 かすかに見えますよ)
上空に広がる雲がよかったですね
ここもビューポイント
帯広・広尾自動車道が走っています
グーグルマップで見ると...
こんな感じ
美蔓丘陵から十勝平野を海まで(今は忠類・大樹まで)80数キロになります
美蔓丘陵を下っている途中
豆狩りをしていました
雲もいい...
平野に入って
あっちこっちで収穫作業
玉ねぎ収穫
機械で寄せ集めていました
興味があったので見ていたら
若いさんが挨拶してくれました
うれしかったので大きな声で
こんにちは!!
この前来た西土狩神社に寄りました
そもそもこの一角にある記念碑
この記念碑がいろいろとおじさんの心に
興味関心を与えてくれました
乃南アサさんんの「チーム・オベリベリ」
台湾ツーリング
晩成社
今日は晩成社の幹部
鈴木銃太郎
渡邊勝
ほかに高橋利八(りきち)
明治16年オベリベリ(帯広市 水光園あたり)入植後
明治19年に西土狩の地に新たに開拓のクワを入れた地なのです
芽室発祥の地として
町は3人の入植地に記念柱を設置してある
と分かったので
今日はその記念柱を確かめに寄ったというわけ
近くで収穫作業をしていたお方に尋ねたら
そのお方は自分の屋敷の中に鈴木銃太郎の記念柱があると...
幸運なお方に出会えて
一気に行動開始
初めに高橋利八入植地
続いて渡邊勝
明治19年6月の文字が刻まれています
最後は渡辺銃太郎です
自動車道を越えて間もなく
教えていただいた表札が見えてきました
自宅前に来ると窓から年配の夫人がいたので
しばし歓談
96歳とおっしゃっていましたが
耳が遠いだけでした(ので大声で話しました)
ひと話をして記念柱を見に...
依田勉三を代表者とする晩成社は
十勝農業発展の黎明期をつくった団体ですが
この3人に関しては後継者はいるのだろうか
しかしこの3人
素晴らしい土地を見つけたものです
(上記マップからも土地の肥沃さが分かります)
十勝開拓は
晩成社ばかりではありません
興味が強くなったら
また図書館で調べてみたい...
想いは頭の中を駆け巡っていますが
表現力・記述力が不足しているばっかりに
惜しい...
帰りはまた堤防道から
十勝大橋に戻ってきました
コロナ禍の自粛で仙人生活
浦島太郎になってしまってはと
サイクルショップへ向かいました
久しぶりの街中
サイクルショップは
定休日(火曜日)だったことを忘れていました
残念!
自宅へは久しぶりに通る火防線
その途中
双葉幼稚園跡
国の重要文化財
十勝の建造物では初めてとか
国道に出て水光園前
渡邊勝・カネ夫婦が晩成社の一員として住んだ場所
記念碑があります
(孫の渡邊洪さん建立)
関係資料として
帯広百年記念館には
当時住んでいた家を
イギリスの探検家?ランダー氏が描いた絵があります
記念碑の下に
実際にあった場所
これは再現ですが
絵に描かれた家が
この位置にあったということのようです
「ろまん亭」というカフェの一角に記念碑があります
撮り鉄にフィールドワーク
いい一日でした!