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ぴったしカンカンの記憶

2006年10月17日 | テレビ
高校生の頃、「ぴったしカンカン」の出場者募集のオーディションに出たことがある。

司会はもう久米から小島一慶か吉田照美になっていた頃だと思う。
俺以外の二人は、当時、自主制作特撮映画「冒険戦隊シュザイハン」「プロレス戦隊シューティング」を
撮影した仲間(クラスが違うが虫が合っていた。これらは文化祭で上映)。素人で編成されるカンカンチーム
(リーダーは欽ちゃん)は、正解した場合三人揃ってリアクションをするという不文律(ラッキーチャチャチャ、ウ!
みたいなの)があったので、友人の一人が当時新日を騒がせていた将軍KYワカマツのコスプレ(この格好で映画の敵の
ボスとしても出演)、もう一人はストロングマシーンを模した格好(同じくこれで映画の敵キャラ)、
そして俺は映画の戦隊のグリーンのコスチューム(俺が映画でやったのはブルーなのだが、ワカマツをやった
グリーンの彼が家から用意してきていた。中学のジャージ改造、ヘルメットは「ファンロード」に
載っていたゲボメット技術応用=厚紙でフレームを作り、そこに新聞紙と和紙を重ね貼りして塗装)を着用。
正解すると、ワカマツが指令して俺がマシーンにロープに振られるふりをし、はね返って来たところに
マシーンのラリアットを食らって背中からバンプを取る、というリアクション。
現場ではそれなりに受け、オーディションの最後まで残った。で、「そのうち連絡がいきますので」みたいなことを
言われて帰路へ。俺はその足で高校の文化祭のクラスの打ち上げが行われたお好み焼き屋に向い、オーディションに
出たことを報告した、という記憶がある。雨の一日だった。その後はクラスのみんなで「相模ファーストレーン」へ。
俺の生涯初のボーリングだった。

ただいただけなかったのは、当時末期に入っていた「ぴったしカンカン」は従来とスタイルが変わり、
芸能人対典型的素人な内容ではなくなってしまっていたこと。
まあ、単に最終的には落選したということなのだろうが、いつまで経ってもお呼びはかからず、
俺には硬い床で何度もバンプを取って背中が痛かった記憶だけが残ったのだった。
いや、「だけ」ではない。そのとき記念にもらった「ぴったしカンカン」のノベルティTシャツは、
今もたま~に着たりするのである。町田東急での河合その子握手会などに一緒に行き、俺のアイドルファン草創期を
彩るのも、彼らをはじめとする自主映画(特撮・プロレスヲタ)仲間であった。みんなどうしてるんだろ。