by 片田珠美(かただ・たまみ)
怒りをためると体に変調をきたす
日本人の多くは、怒りに対してマイナスイメージを抱いています。子供の頃から「怒るのはよくない」とすりこまれてきたためでしょう、怒りを押し殺して、葛藤や対立を避けようとする傾向があるのです。
しかし怒りを抑えるほうが「よくない」ことです。怒りの感情が湧くのは、なにかしらうまくいっていないことがあるせい。怒りを抑えてしまうと、そのうまくいってないことを放置することになり、問題解決につながりません。
そればかりではありません。私は精神科医として心を病んだ患者さんの診察をしていますが、怒りを抑え込んだために不眠やうつなどに悩まされるようになるケースはたくさんあります。蕁麻疹、動悸、吐き気、頭痛、胃痛などが出現することも少なくありません。
怒りを溜め込みすぎて、俗にいう「キレる」状態に陥ることもあります。キレると感情のコントロールがきかなくなり、物に当たったり、暴力をふるったりして最悪の状況を引き起こします。そうなる前に、怒りをうまく小出しにする必要があるのです。
ただし、そのときに感情に任せて怒るのは感心できません。怒りの出し方にもバランス感覚が求められます。
自分の中の怒りを「自覚」し、「分析」する
最初にすべきなのは怒りの自覚です。怒りは誰の心にもあって当たり前の感情なのだと自覚して、向き合ってください。
なかには怒りの感覚を自覚できない人もいます。よいことのように思われがちですが、怒りが自分でも気づかぬうちに蓄積されて、心や体に変調をきたすことがしばしばあります。実際、どうも気が滅入るという患者さんを診察したところ、気分が落ち込む原因は上司からの叱責だったというケースがあります。自分の怒りに気づくことは、自分を守るためにこそ必要なのです。
次のステップは怒りの分析です。怒りの原因は以下の3つに分類できます。
(1)自尊心の傷つき
(2)自分の利益の侵害
(3)わかりあえなさ
(1)は自分の生い立ちを揶揄されるなど侮辱を受けたときや、自分の努力を認めてもらえなかったときなどに生じます。仕事でいえば、自分が提案した企画が「くだらない」とにべもなく却下されたときなどに感じる怒りが典型でしょう。
(2)は自分の利益になるはずのものを横取りされたとき。たとえば、自分が努力して取ってきた契約をまるで上司の手柄のように社内で評価されたら、怒りを覚えるのではないでしょうか。
(3)の「わかりあえなさ」とは感情のすれ違いです。自分がよかれと思ってしたことが、相手にとっては迷惑だったという経験は誰にでもあるでしょう。「せっかく相手のためを思ってやってあげたのに」という思いから怒りが生まれてしまうのです。
自分が怒っていると感じたときには、これら3つのどの怒りにあてはまるのかを分析してみてください。そうすれば、怒りを客観視でき、冷静になれるでしょう。先ほどの天秤でいえば、快感原則に傾いていた状態を現実原則に引き戻すことができるのです。
自分のメリットとなるように怒りを表に出す
怒りを分析したら、いよいよ怒りの表明です。ここで大前提となるのは、自分のメリットになるよう表明すること。怒りを伝えても状況が変わりそうにないとか、放っておけば時間が解決してくれるという場合は、怒りを表明しないという選択肢もあります。怒りを抑え込むのと同じように思われるかもしれませんが、自分の意思で選択したのか、漫然と封印したのかではまるで意味合いが違うのです。
では、具体的な怒りの表明ですが、職場でよくあるのは、上司からの理不尽な仕事の依頼でしょう。たとえば、退社時刻直前に至急の書類作成を言い渡されるようなケース。期限は翌日。残業をしなければ間に合いません。
こういうときの怒りは、自分の利益が侵害されたからこそ感じるのです。仕事を強いられて、退社後の予定が台なしになることへの怒りです。
その怒りをあらわにして、「勘弁してくださいよ。こっちにも予定があるんです」と返したら、上司にたてつく生意気な部下と思われるのがオチです。「融通がきかない」と仕事上の評価が下がることも考えられます。逆に、「はい、わかりました」と怒りを抑えて受けたら、今後も同じような至急の依頼が繰り返されるかもしれません。
ならば、どうすればいいのか。この場合の“ベストアンサー”は、妥協点を見つけて交渉することです。
「今、急ぎの案件を抱えているので、明日までというのは難しいのですが。今週中ではいかがでしょうか」と期限の交渉をするのが1つの方法。
「この件は私ではわからない部分がありまして。お力添えをいただきたいのですが……」と、上司に手伝いを要求する手もあります。こう返せば、無理な依頼はできないと感じるはずです。それでも繰り返されるようなら「これからは数日前に頼んでくださるとありがたいです」と釘を刺すのも一案です。
さらに、現場の事情を理解せずに理不尽なことを押しつけるような上司も結構いるでしょう。たとえば、クライアントの要望でキャンペーンを打つことになったのに、上司は「そんな経費は出せない」の一点張り。揚げ句に「そんなにやりたいなら自費でやれ」と言い出す始末。これは、「わかりあえなさ」が原因になっています。
この場合、どんなに論理だてて説明しても平行線を辿るだけ。であれば、相手を巻き込むのが賢い方法です。
「経費が出せないと伝えてもクライアントは納得しません。部長から直々にお話くだされば、きっとわかってもらえると思うのですが……」
こう言えば、上司は自分が動くか、経費を認めるかのどちらかを選択しなければなりません。口を出しても手は出さない上司には有効な手段です。
相手を自分のコントロール下に置こうとする上司に対しては、怒りを嫌みにして返してもいいでしょう。そのときに怒りを買わないようにするには、相手が悔しがるぐらいにうまく毒をきかせてほしいと思います。
たとえば、「一度、言ったことがわからないなんて。君はバカか?」と見下した言い方をされたときには
「一度聞いてわかる説明でしたら、私も理解できるのですが。もう一度、わかるように教えていただけますか」
「頭が悪くて申し訳ありません。部長なら、バカな私でも理解できるように教えてくださいますよね?」
とチクリ。「説明がわかりにくいから理解できない」と遠回しに言うことで、快感原則を満足させつつ現実原則にも比重を置くことができます。
羨望や妬みには「余裕」という怒りを見せつける
いささか厄介なのは、羨望や妬みに対する怒りの表明。出世の早さを妬んで「上司におべんちゃらを使った」「賄賂を贈った」などと根も葉もない噂を広める人はどこにでもいます。こういう作り話をする人は自己愛が強く、自分が認められない悔しさが心の内にあり、噂を流すことで相手の足を引っ張り、あわよくば代わりに自分が出世したいという感情を持っています。
この場合は、スルーを決め込むのが何よりの戦略。余裕を見せつけることで怒りを伝えるのです。あるいは、なにかの折に「課長になって、あれこれ言われて参ってるんだよ。課長なんて給料はたいして増えないし、責任だけが重くなっていいことなんてないのになぁ」と話してみるのもいいでしょう。「噂を流していることはわかっている」ということを暗に伝えれば抑止効果が期待できるかもしれません。
避けたいのは直接対決。「噂話を流すのはやめろ!」とダイレクトに怒りを表明すれば、妬みの感情を助長して火に油を注ぐようなもの。誹謗中傷がエスカレートする可能性があるのです。
こうした怒りの表明方法は、言葉だけに限りません。ある銀行の支店では2人いた課長を1人に減らされて、残った課長の仕事量が増大。現場の状況を無視した人事への怒りから、お荷物社員を別の支店に引き取ってもらい、使える人員を確保したケースがありました。怒りを抑え込んで愚痴をこぼすだけでは、問題解決にならないということを忘れないでください。
怒りをエネルギーに変換して成功を手に入れた例もあります。青色発光ダイオード(LED)の開発で、2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんです。記者会見の席で研究の原動力について「アンガー(怒り)だ」と語っていたように、自分の研究が勤務先の会社で認められなかった怒りをエネルギーにして偉大な発明をしたのです。
怒りを抑え込むのは百害あって一利なし。ストレスの多い現代人こそ、上手な怒り方を学ぶべきでしょう。
片田珠美(かただ・たまみ)
1961年、広島県生まれ。大阪大学医学部卒業、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。京都大学人間・環境学博士。パリ第8大学精神分析学部でラカン派の精神分析を学ぶ。著書に『他人を攻撃せずにはいられない人』『賢く「言い返す」技術』『怒れない人は損をする!』など多数。