「東京新聞」社説 2022年1月17日
災害時、もし使えないと心底から困るものは何でしょうか。ちょっと声を大にしては言いにくい、しかし、なければ命にも関わる−。多くの被災者が口をそろえるのはトイレです。
日本で最初にトイレ問題に焦点が当たったのは、ちょうど二十七年前のきょう、一九九五年に起きた阪神大震災でした。横倒しになった阪神高速道路=写真(上)=に象徴されるように、大都市圏を襲ったマグニチュード(M)7・3の地震は六千四百人余の命を奪い、多くの教訓を残しました。
百万人を超える市民が駆けつけ、後に「ボランティア元年」と呼ばれました。「震災関連死」という言葉も初めて使われました。建物の下敷きなどになって亡くなった人だけでなく、感染症やエコノミークラス症候群などで死亡した計千人近い人たちも、「災害弔慰金」の支給対象になりました。
◆命すら奪う「パニック」
停電や断水、設備の損傷で水洗トイレは大半が使えなくなりました。排せつの回数を減らすため、水分や食事を控えた人も多く、体力や免疫力が弱まり、感染症やエコノミークラス症候群になりやすくなったと考えられています。
被災地の水洗トイレ化率はほぼ百パーセントでした。学校などに設けられた避難所には三十万人強が一時避難し、水が流れなくなった便器に排せつしました。いくら極度の緊張下にあっても、トイレは我慢できません。その結果、どうなるか、トイレ問題はあまり想定されていませんでした。
発生五日後に現地入りしたNPO法人、日本トイレ研究所(東京)の上幸雄・元代表理事はトイレパニックと呼ばれた実態を著書に記しています。仮設トイレは各避難所に届いていましたが、屋内の水洗トイレを含め、その多くは厳重に有刺鉄線などが巻かれ、使用できなくなっていました。
つまってしまったのです。くみ取りを担うバキュームカーは、水洗化率の高さを反映し、神戸市全域でも二十台ほどしかなかったといいます。とても手が回りません。県外から応援の車はきましたが、道路は寸断され、各避難所まで到着できませんでした。
◆進まぬ確保・管理計画
学校のグラウンドや公園には無数の穴が掘られ、側溝は排せつ物で山盛りだったといいます。誰もが節度を失ってしまったのでしょう。とても先進国と思えない光景が各地に広がっていました。
内閣府が後に作成したガイドラインは、各自治体にトイレの確保・管理計画をあらかじめ作成するよう求めています。しかし、なかなか進んでいないのが現実です。新潟県中越地震や東日本大震災などでもトイレパニックは叫ばれました。水や食料、毛布、医薬品などに比べ、トイレは後回しになりがちです。日本トイレ研究所の加藤篤・現代表理事は「トイレ問題に対する意識は二十七年前から今も変わっていない」と嘆きます。
◆担当者を決めておこう
災害用には、便器にかぶせて使い、その都度、ごみ袋を取り換える「携帯トイレ」=写真(下)=や、事前に下水道や貯留槽を整備し、災害時、その上部に便器をセットする「マンホールトイレ」などがあります。状況や時間経過につれ、これらを組み合わせて使うことが大切といいます。
過去の震災から、トイレは避難者五十人につき最低一基、長期化すれば二十人に一基が基本だそうです。加藤さんは、自治体や町内会などの防災計画上、あらかじめトイレ担当者を決めておくことを勧めています。携帯トイレの備蓄に加え、臨機応変に仮設トイレなどを手配する。使用や掃除のルールをつくり、訓練で実際に使ってみることも大事だといいます。
東日本大震災の際、避難所暮らしを余儀なくされた女性の話を思い出します。通院時、復旧した病院の水洗トイレを借りました。トイレの個室に入るなり、ほおを伝わる自らの涙に気付きました。しばし、おえつが抑えられなかったといいます。抱えきれないほどの悲しみやストレスから解放された一瞬だったに違いありません。
安心してトイレを使える環境はどれほどの安らぎを与えてくれることでしょう。行政はもちろん、各家庭でも、まずは、携帯トイレの備蓄から始めませんか。
行政にはしっかりと対応していただきたい問題ですが、それぞれの家庭においても日頃考えておくべき問題だと思います。人間の「尊厳」に関わる問題と言っても過言ではないでしょう。
昨日は晴れ間も出て久しぶりに江部乙へ。今日はまた家で雪かきです。
昨日アップする予定でした。