里の家ファーム

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北原みのり 昭和かよ、昭和じゃねーよ! 中年女性のやぶれかぶれに「令和」感  私たちは悪い時代を選んでいるのか

2024年12月21日 | 社会・経済

おんなの話はありがたい

AERAdot 2024/12/20

*  *  *

性犯罪刑法改正

 渋谷のスクランブル交差点でのこと。青信号に変わり人々が大量に道の真ん中に流れ込むなか、特別に目立つ女性がいた。彼女はゆったりとたばこを吸いながら歩いていた。コートも着ず、毛玉のついたヨレヨレのトレーナー上下で、伸びた髪を後ろで一つにまとめ、がに股で、空を見上げるように歩いていた。ホームレスかもしれないが、それにしては荷物は小さなリュックだけで、軽そうだ。髪の毛は真っ黒で、まだ若いのかもしれないが、身体から放つ空気は多分50代前半だろうか。四方八方から人々がせわしなくすれ違う交差点の真ん中で、火をつけたばかりの長いたばこを片手にした女性は、クッキリと周りの景色から切り取ったように、浮いていた。

 私は彼女の真後ろを歩いていた。すれ違う人はもれなく彼女を振り返っていた。あからさまに睨みつける人、興味深そうにのぞき込む人、わざとらしく大げさに避ける人……彼女の後ろを歩いていた私は、彼女から流れるタバコの煙を直接受けながら、彼女を凝視する人たちの顔を見ていた。こんなふうにジロジロ見られて気にならないのかなぁ……と思いながら、ふと、変な考えがよぎる。

 あれ? もしかしてこの人、タイムスリップしちゃった人? 「すみませ〜ん、今、何年ですか?」なんて聞いてみちゃったりしたら、何年って答えるのかな〜、2024年の渋谷で歩きたばこはできないんだよって言ったら驚くだろうなぁ〜ハハハ〜なんてことを想像しながら歩いていた。

 その時、前方からすれ違った若い男女カップルが、彼女の顔をのぞき込み、すれ違いざまにこう言うのが聞こえた。

「うわー、昭和かよ」

 え? 違うよ、昭和じゃねーよ!!

 驚いたことに、反射的に私は心の中でそう叫んだのだった。私自身が「この女の人、タイムスリップしちゃったのかな」と思っていたというのに、目の前の20代の若者たちがバカにするように吐いた「昭和かよ」という言葉に反応してしまったのである。昭和じゃないよ! 昭和に、こんな女の人はいなかったよ! なんだかそう訂正したいような気分になったのだった。

 そう、私の記憶ベースでしかない話。でも、昭和にこんな女の人はいなかった。強い北風が吹く12月、真昼の渋谷のスクランブル交差点で、薄汚れたトレーナー1枚でたばこを吸いながら歩く中年女性。そんな人は、いなかった。いや、いたかもしれない。いたかもしれないけど、もしいたとしたら、それは彼女のような感じじゃなかった。そもそも中年女性がたばこを吸うとしても、歩きたばこをしていなかった。歩きたばこはほぼほぼ男の専売特許だった。そもそもタバコは、今思うと信じられないが「かっこいい大人のもの」として考えられていた。そう、なんだか違う、違うのだ。

 2024年もわずか。ここにきて、性犯罪刑法改正前に起きた性犯罪事件の裁判報道が相次いでいる。一つは大阪地検のトップと言われていた男性が準強制性交罪で逮捕・起訴された事件。被告となった元検事正はいったんは事実を認め謝罪を述べたものの、今月になって急に「同意があったと勘違いした」と無罪を主張しはじめた。もう一つは、実父から娘への準強姦罪。父親は実の娘と性交したことは認めたものの、「娘は抵抗できない状態ではなかった」と無罪を主張している。

 2023年の性犯罪刑法改正が画期的だったのは、被害者がどれだけ抵抗したかを問われなくなったことだ。つまりは、「同意があったと思っていました。だから無罪です」という主張が難しくなった。恐怖でかたまったり、泥酔していたり、立ち場の違いがあったりして、「ノーと思うこと」「ノーと言うこと」「ノーを貫き通すこと」ができない状況での性交は「不同意性交罪」として罰せられるようになった。それでも、2023年以前の事件は、前の法律で裁かれる。そのため元検事正も父親も「同意があったと勘違いしたので無罪」という、時代に逆行するような主張を敢えてしたのだろう。事実を認め、謝罪し、罪を償ってほしいという被害者の声に向きあうことなく。そしてそのような主張がどれだけ被害者を絶望に陥れるか、その背後にいる無数の性被害者の心を傷つけるかなど、全くおかまいなしに。

 元検事正の無罪主張、娘を性虐待した父親の無罪主張。あまりにも重たい年の瀬になってしまった。一歩進んではまた時計の針が戻る。短いタイムスリップをいくつも繰り返しながら、どんどん悪い時代を私は選んでしまっているのかと思うくらいに、なんだか女に厳しい社会になっているような気がするのは私だけだろうか。

 そして少しハッとするような思いになる。疲れ果てた中年の女性が、やぶれかぶれな感じで、スクランブル交差点でタバコをふかしながら空を見上げるのって、もしかしたらとても令和的なことなのではないだろうか、と。4年前、都内の路上で、コロナ禍で職を失った60 代の女性が40代の男に撲殺された事件で味わった恐怖が、私の心の奥底にペタリと張り付いたままだ。私たちは、幸せな老後を、信じられなくなっている。私たちは、年を取るのが怖い。死ぬのが怖いのではなく、社会に大切にされないのが怖い。

 人々から冷たい視線を浴びながら、冬の街を薄着で歩きたばこする中年女性の後ろ姿に、私は勝手に自分のいろいろを投影したのかもしれない。今の私には家がある、今の私には家族がある、今の私には仕事がある、今の私には……でも、私はもしかしたらあなたかもしれない。同じ時代を生きてきた同じ性別の人の背中に、「昭和にはなかった」、少なくとも「子どもだった私には見えなかった」、社会から捨てられそうな女の人のやぶれかぶれを見たのだと思う。令和的なものとして、それが見えたのだと思う。


 3年前だから「令和」3年のまだ令和が始まった頃だ。「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」。「平成」生まれの経済学者、成田悠輔の発言だ。
こんなことが平然とTVの中で語られた。

4年前、令和2年になるわけか、都内の路上で、60 代の女性が40代の男に撲殺された。

京都アニメーション放火殺人事件は、5年前の令和元年の事件だった。

今は「闇バイト」SaTu人など。首を傾げるような事件が続いている。

政界では「裏金」「献金」がはびこっている。

この「令和」、何とかしたいものだ。

園のようす。
久しぶりに晴天となった。