「東京新聞」2023年2月25日
財務省は2022年度の「国民負担率」が47.5%になる見込みだと発表した。国民や企業が所得の中からどれだけ税金や社会保険料を払っているかを示すという率で、防衛増税も取りざたされる中、世間では「江戸時代の五公五民と同じ」などと嘆きの声も。だが、この国民負担率という概念や言葉、実は世界的には使われていない日本独自のものだという。いったいこの数字、どう受け取ればいいのか。改めて考えてみる。(中山岳、岸本拓也)
◆税金・社会保障負担/個人や企業のもうけ
国民負担率とは何か。財務省のホームページには、「租税負担率と社会保障負担率の合計」とある。租税負担は、個人が納める住民税や所得税、企業が納める法人税などを指す。社会保障負担は、労使で分けあって払う年金、雇用保険、介護保険などの保険料だ。
国民負担率を計算するには、こうした租税・社会保障負担の合計を、個人や企業が稼いだ「国民所得」で割る。ざっくり言うと、個人や企業のもうけ(分母)に対し税金・社会保障の負担(分子)が占める割合を表している。
国民負担率は1967年の財政制度等審議会で政府側が出した資料に初めて登場した。財務省の西川昌孝調査課課長補佐は「昭和40年代(1965年~)から算出していたようだ」と話す。公表が始まった1970年度は24.3%で、年ごとの増減はあるもの、79年度(30.2%)に3割を超え、2013年度(40.1%)に4割を突破。21年度は48.1%で過去最高になるなど、近年は5割近い。負担部分の推移では、少子高齢化にともない社会保障の増加傾向が続いてきた。
ツイッターでは、江戸時代に領民が領主に納める年貢割合を引き合いにして「令和の時代に”五公五民” 江戸時代とどっちがマシなのか」と嘆く声も出ている。ただ、「財務省として国民負担率が高いと悪い、低いと良いといった評価はしていない」と西川氏。例えば社会保障負担の増加は、裏を返せば年金、介護などの公的サービスの受益部分を支えており、「給付と負担のバランスを考えるための一つの材料として提示している」と説明する。
◆歴史的には抑制を目指してきたはず
とはいえ、歴史的には、日本は負担率抑制を目指す方向で議論が進んできた。
1980年代前半に行政改革の方向性を示した「第2次臨時行政調査会」(第2臨調)委員だった瀬島龍三・元伊藤忠会長は、83年の参院特別委員会で「受益と負担という観点で、租税負担率よりも社会保障負担はある程度上がることはやむを得ない」としつつ、国民負担率を巡る臨調内の議論を紹介。「できれば40(%)で抑えたい、真にやむを得なくても45(%)以下にすべきである、そしてヨーロッパの水準より低くしておかにゃいかぬ」などと述べた。
第2臨調解散後、中曽根康弘政権下で発足し瀬島氏が委員を務めた「臨時行政改革推進審議会」(行革審)も、こうした方針を堅持。90年の第2次行革審最終答申は、21世紀初頭の目標として「高齢化のピーク時でも国民負担率が50%を下回る簡素で効率的な政府」を目指すとした。
こうした方針からは、5割近い国民負担率なら高齢化が進むなかで許容すべき水準のようにも取れる。だが、元財務官僚で明治大の田中秀明教授(公共政策)は「借金でまかなう財政赤字を考慮していない」と語り、国民の負担を測る指標にふさわしいのか疑問を呈する。近年の財政は赤字が続いて国債発行も膨らみ、将来に負担を先送りしている面があると指摘。財務省が毎年公表するのも「途中でやめると批判されると考え、続けているにすぎないのではないか」と本気度を疑う。
◆国際的には低い方に見えるが…
では、世界はどうなっているのか。たとえば財務省が作成した資料によると、ルクセンブルクの国民負担率は84.6%(2020年)と突出している。ただ、ルクセンブルクは、隣国のフランスやドイツなどから通勤する越境労働者の割合が約半分に上り、これらの労働者の所得は、国民所得に入らない。このため国民負担率の分母が小さくなり、実態より負担率が高くなっているとみられる。
これは例外としても、同資料では、経済協力開発機構(OECD)加盟36カ国のうち、日本の国民負担率は欧州諸国より低く、米韓などよりは高い22位。一見して負担率が小さい部類のように思える。
しかし、本当にそうなのか。そもそも、国民負担率という用語は日本独特だという。ニッセイ基礎研究所の篠原拓也主席研究員は「諸外国には国民負担率に該当する言葉はない。海外では国民所得ではなく、国内総生産(GDP)比でみた租税や社会保障負担の指標を用いることが一般的だ」と指摘する。
◆負担は重いのに高福祉は受けられない
国民所得とGDPの違いで大きいのが消費税などの間接税の扱いだ。GDPを基に算出される国民所得は、間接税が省かれるため、間接税率の高い欧州諸国は、国民負担率が高めに出やすい傾向がある。GDP比で負担率をみると、日本と欧州諸国の差は縮まる。
さらに、日本は社会保障などを借金(国債)に依存しており、財政赤字分も加味したGDP比の「潜在的国民負担率」はコロナ禍前の19年度で35.8%と、福祉が充実したスウェーデンの37.1%に迫る。コロナ禍で財政支出が増えた20年度には、日本が上回った。単純比較ではあるが、日本は、スウェーデンほどの高福祉は受けられない一方、同等以上の負担を強いられていることになる。
受益と負担のバランスはどうあるべきか。負担率を下げるには、分子となる税金と社会保険料を減らすか、分母の国民所得を増やすかだ。理想は両方を追求することだろうが、篠原氏は「租税や社会保険料は、高齢者福祉に使わざるを得ない。伸びを抑制するのが精いっぱいで、そうそう削れない」と指摘する。年金や医療、介護などに国が支払う社会保障給付費は22年度で約131兆円。高齢化がさらに進み、25年度には約140兆円、40年度に約190兆円になると政府は試算する。
◆「負担が重いから成長できない」
経済をもっと活性化して分母を増やす方向を目指すにしても、「日本は長年ずっと経済を発展させようと取り組んできて、なかなか形にならなかった。少子高齢化で労働人口が減る中、リスキリングで既存労働者の生産性と賃金を上げないといけないが、どれも道半ば。これをやったらうまくいくという明確な解決策は見当たらない」と話す。
一方、「日本が経済成長できていないのは国民負担が重すぎることが要因の可能性が高い」と指摘するのは、イトモス研究所の小倉健一所長。国民負担率が1%上昇すれば、成長率が0.3%低下する「負の相関関係」があるとする、日銀の分析を踏まえて、こう訴える。「国民負担が増えて経済成長に良い影響を与えるわけがない。大盤振る舞いのガソリン補助金などバラマキ政策を見直す一方、減税で国民負担を減らせば、長い目で見て経済成長につながっていく」
前出の田中教授は、年金などの社会保険料に、所得の高い人ほど負担割合の少ない「逆進性」があることを問題視する。「国民の負担を議論するならば、逆進性のある保険料負担をどう改めるかを、まず考えるべきだ」と現行の枠組みの見直し、あるべき受益と負担のバランスを議論する必要があると説く。
◆デスクメモ
実は北欧並みの国民負担率だという。では、なぜ日本は北欧並み高福祉社会になっていないのか。われわれが負担したものがどこかに行って目詰まりし、還元されていないとしか考えられない。早急にこの構造を変えるべきだ。今や庶民の負担感は、むしろ旗を掲げる寸前なのだから。(歩)
われわれの納めた「税金」。
どこに消えたか?
「中抜き」、「大企業支援」・・・・・
そうなんですよ、同じような負担であるはずなのに、日本はなぜ福祉に当てるところが少ないのか。
明らかに、別のところに行ってるということですよね。
そういう、本当に必要なところにお金が来ない、一部の特権階級やそれらに寄生するダニのような
ヤツらがいるから、こんなことになっている・・。
早く、駆除しなければ!
きょうはある集いで、きのう書かれていたLRTの話をしてきました。
市長のやる気しだいでできると思うと言いました。
今の京都市長は、「福祉」まで民間に任せようとしていると聞きました。
地方自治体の仕事は、住民の福祉のために税金を使うことなのに、
「収支均衡」のために、積み立てておきたいそうです。
敬老乗車証の負担額を1.5倍にしたり、保育所を減らしたり、
おかしなことばかりしています。
今年の府・市議員選、来年の市長選挙をがんばります!