2021年1月11日「東京新聞」社説
新しい年を迎えるという高揚感の希薄なモヤモヤした年末年始。GO TOなのか、BACK TOなのか。GOだとすれば、どこへ向かえばいいのだろうか。
迷いに迷って成人の日の直前に発出された緊急事態宣言。新型コロナ第三波の影響は首都圏にとどまらず、一生に一度の式典も、多くのまちで中止や延期を余儀なくされました。
そうでなくても、かつては一月十五日に固定されていた成人の日が、ハッピーマンデー、つまり三連休をつくる目的で毎年動かされることになったと思ったら、いつの間にやら、十八歳から選挙権が持てるようになっていた。
そして来年からは、成人年齢自体も十八歳に引き下げられることになるという。
それこそ、おとなの都合に振り回されて、「おとなになる」ということの意味付けや、「二十歳」という年齢の位置付け自体があいまいになりつつあったところに、このコロナ禍です。
「今日からはおとなとしての責任と自覚とを持って…」とか言われても、例えば、多人数での会食を自粛するよう、あれだけ唱えておきながら、高級レストランに堂々と集う内閣総理大臣とセレブたち。何を信じて、誰の背中を追えばいいのか−。いつにも増して、けじめをつけがたい成人の日ではないのでしょうか。
いつ晴れるとも知れないモヤモヤの中で今日を迎える新成人に、せめてはなむけの言葉をと、名古屋を拠点に活動する書家でタレントの矢野きよ実さんに、したためていただきました。
「黙るより 叫んだほうがいい」=写真。二〇二一年の書き初めになりました。
人と会えない、集まれない、大声を出してもいけないという今だからこそ、心の中で叫んでみよう。メールや手紙を書くのもいい。書をしたためてみるのも、もちろんいい。「つらい」「さびしい」「会いたい」「わからない」「がんばってるよ」…何でもいい。
「心の中にたまったものを一度吐き出してみれば、きっと次のステップに行けるはず。私自身がそうでした」と、矢野さんは言いました。
そして「おとなとこどもの境界なんて、もともとあいまいなものだと思うんです」と。
洋品店を営む父親が多額の借金をつくり、学費のためにモデルを始めたのは、高校一年の時でした。授業が終わると制服のままスタジオに飛び込み、カメラの前で笑顔をつくる毎日でした。
◆「味方だよ」と言える人
学校と仕事場の往復に明け暮れていた矢野さんが、初めて「おとな」を意識したのは、十八歳の時のこと。父親が他界して洋品店を手伝うことになり、六歳で始めた書道を「やめたい」と師匠に申し出ました。すると師匠は一本の筆を差し出して「何か書いてごらん」と言うのです。
「書きたくない、書くことなんて何もない」と抵抗する矢野さんを、師匠は「きっとあるから、書けるから」と、根気よく説き伏せました。その時とっさに書いたのが「淋」という文字でした。その日から数週間、一心不乱に「淋」一文字を書き続ける日々でした。
その中の一枚を師匠が書展に出してくれました。
おそるおそる見に行くと、矢野さんの作品の前にいた母親世代の女性たちが「これ、あなたの書? わかるわぁ」「わたしにも、こういうときがあったがね」と口々に励ましてくれました。
その時、矢野さんは漠然と考えたと言います。
「おとなって、淋(さび)しいだれかの傍らで『味方だよ』って言ってあげられる人じゃないのかな。私もそんなおとなになりたい。今から思えば、あの時から“おとなの階段”をのぼり始めた。そして今も、のぼり続けているんだと思います」
◆コロナ禍は必ず終わる
人はおとなにしてもらうのではなく、自らおとなになっていく。
式典があろうがなかろうが、成人の日とは、長い長い“おとなの階段”を自らの意思でのぼり始める日なのかもしれません。
だからやっぱり、新成人の皆さん、おめでとう。
コロナ禍は必ず終わる。その時はふるさとへ帰ろう、集まろう。そして思う存分、歌おう、食べよう、語り合おう。それまでは心の中で思い切り、「会いたいよぉ」と叫んでいよう。
わたしも、成人式には出席しなかった。官製への反発精神旺盛の若者だった。友達もたくさんいた。でも誰も出席する者はいなかった。「おとなの階段”を自らの意思でのぼり始める日なの」だと自覚していたようにおもうのだ。ませた10代だった。