また長い記事になってしまいました。わたしが興味を持つだけで、皆さんに押し付ける気持ちはございません。どうぞスルーしていただいて結構です。リアクションも結構です。ランキングにも参加しておりませんので気になさらずに・・・
今日は午前中から雨になりました。つい先程は道路が川のようになっておりました。これから夜中にかなりの雨量になるようです。
園のようす。
水代わりに
足が出た。ここらに普通にいるアマガエルでした。
後継者募集中です。
『トカイナカに生きる』インタビュー#1
「世界的に見て、東京都市圏は何番目に大きな街だと思いますか」地域エコノミスト・藻谷浩介が語る“一極集中の弊害”
文春オンライン2022.8.1
神山 典士
コロナの影響でリモートワークが当たり前になった現在、大都市東京から離れ2拠点生活や移住をする人が増えている。ノンフィクション作家の神山典士氏はこうした状況を「東京一極集中を解消する千載一遇のチャンス」と捉え、各地で新しい生き方を実践している人々と接してきた。自らも埼玉県ときがわ町に7LDKのシェアハウスを構え、2拠点生活を送っている。そうした取材や実体験をもとにまとめ上げたのが『トカイナカに生きる』(文春新書)である。
一方、日本総合研究所主席研究員で、『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』(角川新書)の著書がある地域エコノミストの藻谷浩介氏は、以前から「里山資本主義」を提唱してきた。
「大都市一極集中の弊害」や「分散型社会のあり方」について、神山氏が藻谷氏に話を聞いた。
◆◆◆
都心から1.5時間の「トカイナカ」
『トカイナカに生きる』は、都心から1.5時間エリアを「トカイナカ」と呼び、そこで様々なスタイルで生活する人、働く人の姿を描いた作品だ。「トカイナカで生き方働き方を変える」「起業する」「古民家で暮らす」「ローカルプレイヤーになる」「パラレルワーク(複業)する」「地域を6次化する」「よそ者力を発揮する」といったテーマで取材してきた。訪ねた地域は長野県軽井沢町(追分)、神奈川県鎌倉市、千葉県いすみ市、富津市、匝瑳市、埼玉県小川町、ときがわ町等々。
いうまでもなく、コロナを機に、それまで東京へ東京へと「一極集中」してきた日本人の流れが変わった。東京から地方へと流出する人口が増え、しかも「転職なき移住」が可能な首都圏近隣(トカイナカエリア)への移住・2拠点生活希望者が圧倒的に増えた。
このことは、一極集中解消のチャンスであり、この流れの先に「下り列車に乗った幸せ探し」ができる国づくりがある。そう考えて、私はこのテーマで取材を進めてきた。 すると上記のようなテーマですでに生き生きと生きている、働いている人たちとの出会いがあったのだ。藻谷は、その登場人物の中に既知の名前を幾つも見つけて、それを喜んでくれた。藻谷はこう語った。
「本書に書かれている中で、ぼくが前から特に尊敬している大先輩は小川町の有機農業の実践者金子夫妻です。その夫妻のことを、本書では70年代の有吉佐和子さんの『複合汚染』まで遡って書いている。同時に金子さんのことが、若者たちのネット社会の産物である『田舎でフリーランス講座』とか移住者である関根さんが始めた『起業塾』とかと違和感なく並べて書かれている。ぼくは『天の時、地の利、人の輪』の中では『地の利』を重視するんだけど、若者も関根さんも金子さんも、同じ『地』の上で一つの物語として繋がっている。トカイナカの大先輩が金子さんであると書かれているのは、『トカイナカ』の本質を突いた素晴らしい炯眼だと思いました。
軽井沢の事例が出てきたときには、『あれっ』と思ったんです。軽井沢はトカイナカというよりは、東京の港区が直接引っ越してきたようなところです。都会の人が都会風なスタイルのまま勝手に降臨して、宇宙人の基地みたいに別荘をつくって群れているような面もある。最近は熱海にもそういう感じがありますね。
けれど本書で『軽井沢』と紹介されているのは、実は西隣の『追分』が舞台の話なんですね。東京からアクセスする際の駅も『軽井沢』ではなくて『佐久平』(笑)。軽井沢は六本木だけど、追分はまさに埼玉県のような場所。軽井沢に仕事をもって通勤する地元民が、田舎の良さを求めた移住者と一緒に住んでいる。この場所の選択が絶妙にいいですね」
このあたりの指摘が、地域の細かい事情にやたらに詳しい藻谷ならではだ。私にとっては藻谷浩介こそが、「地域創生」をテーマにするときのロールモデルだ。一般的には藻谷は、2010年に著した『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』で経済変動を人口問題から喝破し、世間の認知を得た。
「雨」の違いを問われて…
けれど遡ること約30年前、小学生のころから社会科の地図帳で全国の自治体を観察し、「人口は変わるんだ」と毎年変動する人口を暗記する早熟な少年だった。大学時代は自転車部に入り、全国約3000(当時)の自治体の半分近くを走破してもいる。いまから3、4年前、一緒に福島県の小村を取材した折り、藻谷は目の前の山脈を指さしながらこう言った。
「あの山の右側に降った雨と左側に降った雨の違いがわかりますか?」
すぐに相手に質問調で尋ねるのが藻谷の癖だ。わからないからどきまぎしていると、こう解説してくれた。
「右側に降った雨は太平洋に、左側に降った雨は日本海に流れます。つまりここは日本列島の背骨なんです」
人口問題も地域問題も、机上の知識として記憶するのではなく、現場の胎動と共に常に生きたデータとして扱う。藻谷はそういう姿勢を、すでに約半世紀も取り続けている。
ところで、本書のテーマである、「コロナ禍を機に一極集中から分散社会へ」について、藻谷はどう考えているのだろう。あえてここで藻谷に「一極集中の弊害」を語ってもらうとすれば、どこに力点があるのだろうか?
そのことを問うと、藻谷はどこか焦れったそうにこう口を切った。
子どもが生まれない場所に若者を集め続ける日本
「一極集中の問題点なんて20や30すぐに挙げられるのですが、ニューヨークしかみたことなくてニューヨークが世界一だといっている人に、それは勘違いだと理解してもらうのが大変なのと同様、『東京教』に入信してしまっているような人に一極集中の問題を説明するのも面倒なことなんです。
ですが、この話を逆方向からいうならば、東京一極集中にメリットなんて一つもない。例えば東京という町は婚姻率は日本一ですが、出生率は全国最低です。若者がたくさん集まる町なのに次世代がつながらない。人間も生き物でして、都市はその主要な生息地なのですが、東京という生息地では生態系が完全に崩壊してしまっている。子どもが生まれない場所に若者を集め続ける日本で、人口が減るのは当たり前です。
『そんなことを言っても、東京は若者を集めて栄えている』なんて、皆さん思ったりするわけです。少子化の恐ろしさがぜんぜんわかっていない。
仮に『若者』を、『15歳から44歳』としましょう。まだコロナの始まる前の話ですが、2015年元日から2020年元日までの5年間に、東京には59万人の『若者』が転入超過しました。上京した『若者』の方が帰京した若者より59万人多かったのです。では同じ5年間に、都内に住む『若者』は何人増えたでしょう? 『えっ? 59万人増えたんじゃないんですか』、と思う人は、繰り返しますが少子化問題が理解できていないのです。
答えは、8万人の減少なんです。これはまだコロナ前の、一極集中の極みのころの話ですよ。59万人流れ込んだはずが、トータルすると8万人減っている。同じ5年間に45歳を超えた東京在住者は118万人なのに対して、15歳を超えた在住者は51万人しかいなかった。都内で生まれた子どもが、30年間で、半分以下に減ってしまった結果です。これだけ少子化してしまうと、都内の『若者』は118-51で67万人減るところだったのですが、東京はパラダイスだと勘違いした田舎の若者59万人の上京のおかげで、67-59=8万人の減少で済んだのです。
しかも東京に59万人流入しているということは、地方ではその分減っている。出生率の高い地方にいれば、もう少し子孫も増えたかもしれないのに。『一極集中が効率的だ』と言う人は、『東京は生産性が高い』とか言うんですが、それはお金の話。人の生産性は最低です。人間の本質は、金の計算にあるのではなくて、生き物であることなんですけれどね」
「東京都市圏は、世界で何番目に大きな街でしょうか?」
さらに藻谷はこうも言う。
「ちなみに都市圏としての『東京』という街は、世界で見て何番目に大きな街でしょうか?」
これまた一筋縄では答えられない問題だ。「東京」をどこまで「東京」と呼ぶのか? 国が決めた自治体の境界線ではなく、「生活実感として所沢も東京の一部とします」と藻谷は言う。となると――。
「これもあまり正解する人はいないのですが、世界的に見て東京都市圏の規模は圧倒的に1位です。ニューヨークより重慶より上海よりソウルより遥かに大きい。そういうことを知らない人が、東京にもっと人を集積させろと言っていたりする。ティラノザウルスはもっと大きいほうが生き残れるんだと言っているようなものです。
世界的に見ると東京だけが圧倒的に世界最大で、次のクラスがソウル、大阪、ニューヨーク、上海。ということは、世界最大の東京と二番手の大阪をもっている日本がこの30年間経済が全く成長していないんです。つまり大都市をつくることは、人を減らすどころか金も増やさないことの証明です」
なるほど。そう言われればわかりやすい。藻谷がデータを出してくるたびに、私たちは現実の薄皮を剥がしリアルと対面させられることになる。
世界標準の国づくりをするために
「例えばアジアで経済力が強いといえばシンガポールです。あそこは福岡程度。名古屋よりも小さい。ヨーロッパでうまくいっているのはスイス。スイスの最大都市はチューリッヒだけど、所沢程度の大きさです。ジュネーブは越谷程度。スイスは埼玉県より少々大きい程度です。
でも一人あたりのGDPは日本の倍以上ある。ドイツの経済の中心はフランクフルト。あそこは福岡くらいです。スペインの中心バルセロナも福岡程度。つまり世界のいけてる町はみな福岡程度なのです。
そう言う町が世界的に競っているときに、東京をもっと大きくすれば勝てるという人はどんな認識で言っているのか? 現場を見ていないし、数字も見ていない、世界的認識のアップデートができていない人が言っているだけです。これをガラパゴスといわずになんというのか。
私は空気認識と呼んでいます。事実を全く認識せずに、空気だけ読んでいる人です。ですが空気は、昭和の成功体験の産物。これからは人を分散させて、トカイナカに人を送り込んで、世界標準の国づくりをしないといけないのです」
『トカイナカに生きる』インタビュー#2
「応仁の乱は、経済的な一極集中の崩壊」「私も東京を脱出します」地域エコノミスト・藻谷浩介が描く“日本の未来”
神山 典士
◆◆◆
「田舎には何もない、東京にいけ」
もう一つ、日本が東京一極集中から抜け出せない理由がある。それは、親世代が子供に対して「田舎には何もない、東京にいけ」といい続けてきたことだ。藻谷は「それが明治時代から3世代約100年続いてきた」と言う。
「私は山口県生まれで高校卒業後上京してきた人間だからわかるんですが、以前は広島に行かないとマクドナルドがなかった(笑)。本屋もなかった。大学も地方にまともなものはなかった。だから私たちの世代までは上京したのですが、いまは変わりました。マクドナルドなんてあってもなくてもいいし、書店がなくてもアマゾンがある。大学もオンラインで授業が受けられる。全国どこにいってもコンビニはあるし、地方には東京にはないホームセンターがあってとても便利です。
逆にうちの子は東京に住んでいるのに『パソコンのアダプターがなくなって』というとすぐにアマゾンでオーダーします。秋葉原に買いにいこうともしない。ポチッと押せば翌日に届くんだから、その方が便利だ。つまり東京にいる理由がまったくないんです。
マスコミに出たいという子がいても、ユーチューブやるのに東京に出る必要ないし、ついには島根県の離島にある海士町に出版社ができてしまいました。いままでなら出版社は知能集約型のビジネスだったから絶対に都会でないと成立しないと思われていました。でもいまは完全にネット商売だから、どこでも成立する。海士町にあるからといって地方をテーマにした出版社じゃなくて、全く普通の出版社です。トヨタを辞めて移住した人が始めたのですが、海士町の方が地価が安いし、その方がブランドが立つ。海士町で生まれた本として、販路も広がったりする。本ですら地方で生まれる時代になったんです」
いま「トカイナカ」が注目されるわけ
おりしも本書『トカイナカに生きる』の出版の前後に、NTTは「社員3万人を原則テレワークとする。日本全国どこに住んでもいい。出社は出張扱いで飛行機代も出張費で出す」と発表した。ヤフーもまた、昨年度までは社員の居住地は「翌日の午前11時までに出社できること」という条件があったが、今年になって撤廃した。東芝も、リモートワーク社員を増やすと宣言している。
そうした大企業がこの方針の理由で共通して語るのは、「人材確保のため」。つまりオンラインで働けるとわかったいま、毎日出社を強制する会社には、若者たちは魅力を感じない、入社しないということだ。
そのことを、藻谷は独自のいい方でこう言い表した。
「いまこの時代にトカイナカが注目されるのは、歴史的に表現すると二つのいい方があります。いまが幕末だという見方と、応仁の乱だという見方の二つです。
幕末は、勝海舟が『仕付け糸をしゅっと抜いたら、幕府という服はさっと布に戻っちゃった』と形容した、明治維新の直前でした。幕末まで日本人をぎゅうぎゅうに縛っていた身分差別は、そのままでは19世紀の世界にまったく通用しないものだったので、明治維新で一気に撤廃されます。令和の日本でも、男女差別に始まって、学歴差別、大企業と中小企業の差別、政治家や経営者の世襲、それに東京が優秀で地方はダメというような固定観念と、実力を反映しない序列が固まってしまっている。ですがこれらも、21世紀の世界にはまったく通用しない。日本が生き残りたければ、昭和の序列意識はこれからどんどん解体して行かざるを得ない。その意味でいまはまさに幕末なんです。
応仁の乱は「経済的な一極集中の崩壊」
一方、応仁の乱というのは、経済的な一極集中の崩壊でした。それ以前は全国の一番商品価値があるものは京都に集まっていた。鎌倉幕府ができて武士の時代が来た後も、布などの手工業品や各地の特産品は、荘園の年貢として京都に集められて、そこで換金され全国に再流通していたのです。
ところが応仁の乱で荘園からの年貢上納が消滅する。各地方にサブ京都のような町ができて、特産品はそこで換金できるようになった。だから歴史学者によっては『応仁の乱が日本の大転換点だ』と言います。もちろん承久の乱も明治維新も大きな意味があるのですが、経済の一極集中が壊れたエポックといえば応仁の乱になる。
私はこれに似た状況がいまから来ると思っています。人の流れがトカイナカに向かうだけではなくて、お金も東京を通さずに回るようになっていく。応仁の乱の後は、山口や博多など遠隔地にも栄える町が増えますが、京都の近くでも、伏見に坂本、長浜、堺なんていう当時の『トカイナカエリア』が力をつけた。信長は安土、秀頼は大阪という、これまた当時のトカイナカを選んだのです。幕末にも、関東では横浜、関西では神戸という漁村が、当時のトカイナカに勃興する。
京都の公家が堺で儲けるみたいなもの
幕末の後でも、大阪に首都を移そうと思っていた大久保利通を前島密が説得することで、江戸が東京となって首都が置かれ続けたわけですが、応仁の乱の後には、江戸というまったく新たな中心地が、ド田舎の沼地に建設される時代が来ました。江戸と京都・大阪の経済力が拮抗するには長い時間がかかって、逆転したのは戦後になってからですけど。歴史は繰り返しますから、いずれは東京をしのぐ経済の中心地が、京都・大阪に対する江戸のようにできて来てもおかしくはありません。
京都の近くに大阪ができたように、トカイナカは経済的に活性化する筋があります。なぜなら、東京というマーケットのうまみも取り込みつつ田舎の良さも味わえる。人材も集積しやすい。東京が嫌になった奴がトカイナカのリーダーになればいい。京都の公家がいきなり博多や山口にいかないで堺で儲けるみたいなものです。
当時、京都の商人は『堺ふぜいがなにができる』と田舎ものをばかにしたことでしょう。でも応仁の乱の100年後に外国商人がやってくるようになると、堺の経済力は急伸しました。歴史は繰り返すもので、東京を削りつつ世界とつながるトカイナカが脚光を浴びる時代が来る。私は最近、そんなことを思い描いています」
「私も東京を脱出します」と語る理由
藻谷は最近、渋谷区の一戸建てから近くのマンションに引っ越した。二人の息子が独立したので、夫婦二人の生活にダウンサイジングしたのだ。今後はもう少し仕事が整理されたら、「私も東京を脱出します」とも言う。「車はなるべく運転したくないので、住むのは地方都市の市街地かな。でも鉄道やバスのあるトカイナカもいいかもしれません」。
つまりデータで物事を考える藻谷は、既成の成功概念にとらわれない。大きな家に住むなどという愚を犯さずに、その時の身の丈でその時に一番質実剛健の生き方を選択する。
その視線の先に「トカイナカ」がある。この動きの先に、この国の未来が見えてくるか。その答えがでるのは、もう少し先のことになる。