監督・毎日放送ディレクター 斉加尚代さん
「しんぶん赤旗」2022年10月20日
メディアを分断した安倍政治 踏ん張る記者生かすのは市民
政治の力で変貌していく教育の問題に焦点を当てた、ドキュメンタリー映画「教育と愛国」がJCJ大賞を受賞しました。監督は、大阪の毎日放送(MBS)のディレクター・斉加尚代さん。メディアは何ができるのか、斉加さんに話を聞きました。(渡辺俊江)
―JCJ大賞を受賞されての感想や、映画「教育と愛国」が上映されての反響を聞かせてください。
優れたジャーナリズム活動を表彰するJCJ大賞に映画「教育と愛国」が選ばれるとは、予想だにしていませんでした。報道記者として歩んできた私にとってこの賞は、とてつもなく重く、名誉なことです。これまで支えてくれた全てのスタッフと劇場関係者、そして観客の皆さんが押し上げてくださったゆえの受賞だと感じます。
公開前は教育に対する政治介入をテーマに淡々と描く作品がどれほど受け入れられるだろうかと不安もあったのですが、結果はヒット作と言われるまでになっています。感想も幅広く、「背筋も凍る政治ホラーだ」と評する方や「よくぞ、作ってくれた」と感謝してくださる方、また「涙が止まらなくなった」とおっしゃる方まで、お客さんによって刺さるポイントがどうも違うようです。制作者の意図を超えて映画がどんどん育てられていると感じます。これは大きな喜びです。上映後の舞台挨拶で印象的なやりとりは数多くあるのですが、たとえば、教員を目指しているという女子学生さんが私の顔を見るなり「悔しいです」と述べて絶句し大粒の涙を流されたことや、現役の教員が「この映画の中に自分の苦しみの原因が描かれている。いまも苦しいけど、子どもたちのために頑張ります」と話されたことなどです。
―映画は「教育と政治」について問いました。それは「メディアと政治」にもつながります。権力を批判するのではなく、すり寄ることがメディアの内部で起きています。
安倍晋三元首相による長期政権の功罪を振り返れば、メディア全体に大きな分断をもたらした罪は大きいのではないでしょうか。一国のトップは、どのメディアにも公平に接するというモラルを崩壊させました。自分の意に沿うメディアを優遇し、単独インタビューに応じたりテレビに出演する一方、自身にとって都合の悪いメディアを忌避するだけでなく名指しして攻撃するという愚挙に走りました。
説明を尽くし社会の合意を取り付ける役割を果たすべき政治家が、言葉を用いて「敵」と「味方」を色分けし人びとに分断をもたらします。メディア自体も権力監視の機能を後退させて批判力を低下させたと思います。分断のせいでメディアが一丸となって権力に対峙(たいじ)できなくなったことに加え、「批判ばかりする」と読者や視聴者の一部がメディアの存在価値を理解せず、権威主義に染まっていることも一つの原因ではないかと思います。
―番組や取材が政治家から、またSNSで激しいバッシングを受けることがあります。斉加さんは「記者に息苦しい、殺されかけていると感じさせる」と言われています。
いま記者たちの存在が殺されかけているのは、二つの側面からです。一つは特定の政治家からの激しい言葉による扇動やSNS上での発信によって個人攻撃されると、顔の見えないネットユーザーらが大群のように押し寄せて挟撃され窮地に陥ってしまう危険と隣りあわせであることです。ネット炎上をできれば避けたいと気にする記者やデスクが多くなりました。もう一つ、さらに深刻なのが、日本経済の衰退によって新聞・テレビ等の広告収入が減り、企業メディアの経済基盤が弱くなったために記者の数が減らされ、稼げる記事をもっと書けと圧力をかけられたり、視聴率主義に記者を追いやってジャーナリズムが二の次になっていることです。
テレビ局の場合はとりわけ政治をエンタメ化してでも視聴率を取りさえすればよいとする傾向が強まっています。人気の高い政治家やコメンテーターに依存し、主体的に検証しようとしない情報番組をよしとする姿勢も問題です。世界が戦争に向かう恐れもあるなか、危険な言論空間が出現していると私は感じます。そしていま真面目に踏ん張る記者を殺すのも生かすのも、実は読者であったり、視聴者であるということを付言したいと思います。
―「取材とは、自分と違う立場とを行き来すること」というのが斉加さんの信念です。それを育てられたのは、MBSの報道DNAだとか。
MBSドキュメンタリー「映像」シリーズは、作り手が独自の視点で自由に果敢に制作できるという気風で続いています。月1回の放送でもう42年目を迎え、テーマも多岐にわたります。私自身の「映像」第1作は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の西村隆さんが車椅子で生活し、時間をかけてパソコンに打ち出す文字で会話しながら4人の子どもたちの成長を支え人生を輝かせているという作品でした。明るさとユーモアを失わない西村さんは、「自分とは違う」大きな存在でした。
取材とは、自分とはまったく違う人たちと出会うことだと思います。実際、「映像」はマイノリティーを多く取り上げてきましたし、政治的立場に関係なく相手と対話し、知ることこそが取材です。
―報道がジャーナリズムとして存在するためには何が必要でしょうか。仕事をする上での原動力は何ですか。
出会いから生まれる問いに私は突き動かされます。映画「教育と愛国」の製作では、大阪維新の会による教育改革を知って「俺たちの学校をつぶすってことは、俺たちもいらんということやろ」と真顔で一人の生徒から聞かれ、こんなふうに思わせる政治主導の教育はおかしいではないかとの問いが出発です。
全ての子どもたちが幸せを感じられるよう、貧困や差別、戦争を遠ざけて、平和を享受し自由に生きられる社会を実現させたい。そんな社会を理想に掲げて進んでゆくことが教育とジャーナリズムの使命です。どちらも未来に目を向ける仕事だと思います。目先だけの利益を追求する強欲ビジネスとは相いれない。そこが私の原動力だし、失いたくない軸なのです。
■映画「教育と愛国」
政治介入で様変わりしていく教育の現場をつぶさに取材した作品。2017年に放送した「映像 ’17」(関西ローカル)の同名ドキュメンタリーに、日本学術会議任命拒否問題などを追加取材して完成しました。小学校の道徳教科書で「パン屋」が「和菓子屋」に、高校の歴史教科書では沖縄の集団自決について「軍の強制」が削除されたことを告発。大阪維新の会による「教育改革」にも鋭く迫ります。
22日から埼玉・川越スカラ座で公開。今後、全国で自主上映会開催。
さいか・ひさよ 1987年MBS入社。報道記者を経て、2015年からドキュメンタリー担当ディレクター。テレビ版「愛国と教育」でギャラクシー賞テレビ部門大賞など。
この季節、テントウムシダマシやカメムシの大発生。天気の良い日には家の壁や窓にびっしりと。下手に玄関を開けられません。おまけに両者とも臭い。そろそろ窓の雪囲いをと始めたのですが、いやはやなんとも・・・
シコンノボタンが咲き始めた。