里の家ファーム

無農薬・無化学肥料・不耕起の甘いミニトマトがメインです。
園地を開放しております。
自然の中に身を置いてみませんか?

生きづらい女子たちへ もし、貴女がホームレスになったら〜女性が身を守るためにしている数々の「やむをえない」選択

2022年02月05日 | 生活

雨宮処凛(作家、活動家)

Imidas連載コラム2022/02/01

 

 突然だが、これを読んでいる女性に聞きたい。

 もしあなたが、何らかの理由で経済的に困窮し、家賃を滞納し部屋を出ていかなければならなくなったとしたら。

 頼れる家族はすでに亡く、友人たちには借金を重ねたせいで関係性が切れている。必死で職を探したものの見つからないうちに所持金も尽きそうだ。両手に持てるだけの荷物を持ち、寒空の下、たった一人、路上に出る。

 少なくない人が、ここで自ら命を絶つことを考えるかもしれない。しかし、怖くて死にきれない。そうして初めての路上生活が始まるのだが、「ホームレス状態である」ことがバレないよう、あなたは必死で身綺麗にし、夜はとにかく身を隠す。

 そんなある日、あなたは男に声をかけられる。何度か駅や公園などで見かけたことがあり、家がないのかな、と思っていた男だ。どんな人なのかわからないので怖いが、そのうちに炊き出し情報を教えてくれたり食べ物をくれたりするようになる。

 そんな日々の中、あなたはその男性とカップルになる。特段好きなわけではない。が、路上で身を守る方法として、それが最善の方法に思えたからだ。男性といるだけで、女性一人では決して得られない安心感がある。少なくとも、夜間、見知らぬ人の暴力から守られる。

 しかし、そんな「安全」と引き換えに、あなたの自由は制限される。男性の要求には、決して逆らえないからだ。

 そんなことを突然書いたのは、2021~22年の年末年始、困窮者支援の現場にはりついていたからだ。

 ホームレス状態の女性は男性と比較してまだまだ少ないものの、炊き出しや相談会に来る女性たちは、コロナ前と比較して格段に増えている。

 例えば08年、リーマンショックの年の暮れから翌年の年明けに日比谷公園で開催された「年越し派遣村」。ここには6日間で、派遣切りなどで職も住まいも所持金も失った505人が訪れたが、そのうち女性はわずか5人(1%)。

 一方、20年から21年にかけ、「年越し派遣村」の有志が大久保公園(東京都新宿区)で開催した「コロナ被害相談村」には、3日間で344人訪れたうち、女性は62人(18%)。そのうち29%がすでに住まいがない状態だった。

 そうして、この年末年始、やはり大久保公園で開催された「コロナ被害相談村」には、2日間で418人が訪れた。そのうち女性は89人(21%)だった。

 女性のホームレス化は、私にとっても他人事ではない。16年間、貧困問題をメインテーマとして取材・執筆しているが、なぜかといえば自分自身が高卒でフリーランスの単身女性という、あまりに貧困リスクが高い条件を兼ね備えているからである。フリーター時代には「うちら、親が死んだらホームレスだよね」と友人と話していたし、今やフリーターより不安定なフリーランス。クレジットカードは数年前まで作れず、賃貸物件の入居審査にも落ちるという安定の不安定ぶりだ。

 そんな中、10年ほど前には、友人の女性がホームレス化した。電話でしか話せていないが、失業して一人暮らしができなくなり実家に戻ったものの、家族とトラブルになって実家を出て路上生活となった彼女は、路上で出会った男性とカップルになり、関東各地を転々としていることを話してくれた。そんな彼女は、随分とその男性に振り回され、束縛されているようだった。私が「生活保護を受けた方がいいのでは?」と言うと、「そうしたいけど、彼が、申請すると二人はバラバラの施設に入れられて離れ離れになるからダメだって」と言い、心配だから会いに行くと言うと、後日、その彼に予定を潰された。

「彼が、何年も会ってない友達より自分を信じろって言うの。雨宮さんのこと信じてないわけじゃないけど、ごめんなさい……」

 約束の前日、そう電話してきた彼女の口調は苦しげで、隣に彼氏がいる気配が伝わってきた。変に粘って困らせてしまうのも危険なので、その時は頷いて電話を切った。折を見てまた電話しよう。それから少し経って連絡した時、彼女の携帯は止まっていた。「しまった」と思ったが後の祭りで、以来、彼女がどうしているかわからない。

 さて、これまで貧困問題に取り組む中で、住まいを失ったカップルの支援を何度かしてきた。その中には、冒頭で書いたような「路上で出会った」カップルもいれば、同棲していた部屋を出された場合もあった。支援活動をする中で気づいたのは、どんなに仲が良さそうなカップルでも、何かしら問題を抱えているということだ。特に女性は男性の前では何も言えないものの、男性から物理的に離して話を聞くと、DVなど、いろいろな問題が出てくる。

 だからこそ、女性支援の現場では、とにかくカップルは引き離して話を聞くことが重要とされている。なぜなら、女性は「最悪」を回避するために「最悪よりマシだけど嫌なこと」を選択し、我慢している場合も多々あるからだ。

 と、そんなことを考えていて、突然、昔のことを思い出した。中学・高校時代のことだ。

 現在40代なかばの私が中高生の頃、世の中はヤンキー全盛期だった。

    中学時代には映画『ビー・バップ・ハイスクール』(1985年、セントラルアーツ)が公開され、高校時代は少年ジャンプで連載されていた『ろくでなしBLUES』(森田まさのり著)などのヤンキー漫画が大人気だった。「なにそれ」という若者に説明すると、トンチキな髪型や服装をした「ヤンキー」という少年少女の、ちょっと(かなり?)粗暴なライフスタイルを描いた作品が人気だったのだ。多くの作品には暴力やリンチ、バイク、セックスだけでなく、未成年の飲酒や喫煙、無免許運転などが当たり前に出てきた。ちなみにそれより少し前には不良少女と親の「200日戦争」を描いた『積み木くずし』(穂積隆信著)がドラマ化されるなど、とにかく「ヤンキー」は時代の中心にいた。

 そんなヤンキーは私の中学でも一大勢力としてのさばっており、「タイマン」「カツアゲ」などのパワーワードを発することで「非ヤンキー生徒」を怯えさせていた。彼ら彼女らは「目が合った」だけの理由で「ガンつけた」などと非ヤンキー生徒をいたぶり、金を巻き上げたりするため、とにかく「障らぬヤンキーに祟りなし」とばかりに生徒も教師も怯えていたのである。が、ヤンキーはモテてもいた。

 そんな当時、ものすごく違和感を覚えていたことがある。それを、ホームレス状態のカップルのことを考えていて急に思い出したのだ。

 それは当時のティーンズ誌。

 北海道の片田舎の中高生だった私は高校生でバンギャになるものの、金欠ゆえ、ライヴなどたまにしか行けず基本的にはものすごく暇だった。が、暇はあっても金はない。結果、コンビニで数百円で買えるティーンズ誌を隅から隅まで熟読するということで膨大な暇を埋めていた。

 ちなみに当時のティーンズ誌は投稿欄が非常に多く、そこに少女たちの生々しい「実話」が投稿されていたのだが、そのほとんどがセックスに関するもの。「初めてエッチしちゃった」という定番から始まって(相手はだいたいヤンキーの先輩か同級生)、中にはかなりハードな話もあった。投稿しているのはみんな10代女子で、中高生の日記がそのまま掲載されているような投稿欄には、いつも赤裸々な体験が溢れていた。

 その中には、今思えば性被害でしかない体験談が当たり前に掲載されていた。しかも告発ではなく、「こんな体験しちゃった」的なノリで。

 例えば当時よくあったのが、不良グループに車で拉致されたというもの。もうこれだけで犯罪だし事件だし通報されて当然の案件だが、これは序章でしかない。大抵、山奥など人気のない場所に連れ去られ、輪姦されそうになるのだが、そこでリーダー格のヤンキーに「俺の女になれよ」と迫られるのである。混乱しながらOKすると、「こいつ、俺の女になったから」とみんなに宣言するリーダー格。そのことによって自分は輪姦から逃れ、そこから救ってくれた彼と付き合うことになってハッピー、私を守ってくれた男らしい彼にゾッコン、みたいな内容である。

 そのような投稿はある意味「定番」と言っていいほどよく目にするもので、読むたびに、私の頭の中は疑問符でいっぱいになった。

 彼のした行動は、果たして「男らしい」のか? 守ってくれたって言うけど、もともと10代女子を拉致しているグループのリーダーである。しかも、そんな状況で「俺の女になれ」って、「このまま複数にレイプされるか、一人で手を打つか」って話で、OKしか選択肢がないではないか。

 と、ものすごくもやもやしたのだが、当時の私にはそれを言語化する力もなく、またヤンキー全盛期の世間は「乱暴さ」が「男らしさ」と直結するような価値観に満ちており、実際、周りにもその手の話は噂レベルではよくある話で、もやもやしながらもそのようなことは忘れていき、気がつけば10代でなくなり、いろいろしているうちにあっという間に30年以上が経過。で、冒頭に書いたような「もし、自分が路上に出たら」と想像した時に「やっぱ、より安全そうな男とつがいになるかも」などと考えていたところ、突然、10代の時に読んだ少女たちの投稿を思い出したという次第である。

 今、思う。

 それは確実に、犯罪被害だと。彼はそこから「救ってくれた」素敵な男などではないと。あらかじめ、その男を選択するしかないような状況に置かれ、自身の身を守るためにやむなくした決断であると。その彼と付き合えてハッピー、と思うのは、自身に起きた悲劇を正当化したいという心理が働いているのかもしれないと。そしてマトモな人間であれば、「その場で彼女を解放、安全な場所まで送って自分は自首」が正解だと。

 同時に思うのは、そういう話が珍しくなかった当時、どうして大人たちは「それは被害である」と伝えてくれなかったのかということだ。例えばそのティーンズ誌自体が、そういうメッセージを送ることだってできた。しかし、私の記憶にある限り、そのようなものを目にしたことはない。

 そう思うと、つくづく私たちは守られていなかった世代だと思う。当時、中高生のセックスは大人たちからは飲酒や喫煙のように「やったら不良」というレッテルを貼られるもので、「10代の身体を大切にする」「子どもたちの心身を守る」ような性教育はすっぽり抜け落ちていた。

 だけど、当時の大人たちに「マトモな性教育」を求めること自体、酷な気もする。

 セクハラは当たり前で「男の育休」なんて影も形もなく、空港には「いってらっしゃい、エイズに気をつけて」と、男性が海外で買春をすることが前提のようなポスターが貼られていた時代。

 そう思うと、30年で、日本社会は少しは変わったのかもしれない。

 2022年の年のはじめ、いろいろと思い出して、そう思ったのだった。


 何日か雪の日が続いたのだが、今日は青空がきれいだ。冬の景色はいつも白黒の世界で、青空が出ると総カラー天然色の世界だ。「立春」の太陽は強く、暖かく感じられた。
江部乙にて。

今日の散歩道から。


 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。