「東京新聞」社説 2023年1月9日
昨年の十一月二十四日、浜松市の浜松開誠館高校・中学生による「グローバル気候マーチ」=写真(上)。生徒約千人が「ONE EARTH MANY LIVES−ひとつの地球 たくさんの命」と書かれた横断幕を先頭に、段ボールで作ったプラカードを掲げて市街地を約二時間行進し、気候危機の深刻さを訴えました。
気候マーチは、スウェーデンの環境活動家、当時十六歳のグレタ・トゥンベリさんに共感し、生徒有志の呼びかけにより、二〇一九年の九月に始まりました。
その年の暮れに二回目を実施した直後のコロナ禍で、二〇年の三度目はウェブ上にメッセージを掲げるオンライン開催にせざるをえませんでした。二一年は校内のみの行進で、三年ぶりの街頭です。
浜松駅や市役所の周辺をめぐり、途中、浜松城公園の広場では、生徒会の代表が、鈴木康友市長に<責任ある大人、政治家の立場として、私たち将来ある若い世代の未来環境を守るために、具体的な対策を盛り込んだ政策を早急に示してほしい>と訴える「提言書」を手渡しました。
「十八歳成人」を意識したのか、「私たちは未来環境を考える政治家を選ぶ」という横断幕もありました。
◆責任ある大人の一員
高校三年生の小杉太一さん(18)は六月生まれ。既に<責任ある大人>の一員として、気候マーチに参加しました。
昨年の夏までは、国連の「持続可能な開発目標」を推進すべく創設されたSDGs部の部長。大学受験を控えた微妙な時期ではありますが、「自分自身の危機感と不安感、そして決意を、卒業前に多くの人に直接伝えたかった」というのが参加の理由です。
部長時代、国会議員を招いて環境問題に関する討論会を開いたことがありました。
小杉さんは、議員に問いかけました。
「気候危機を回避するのに不可欠な『五〇年カーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)』。目標が達成できたとすれば、その時の日本は、どんな社会になっているのでしょう」
「そこは五〇年を生きる君たちに考えてもらいたい。私たちはもう、いないから」
議員の答えには、いささか拍子抜けでした。
「再生可能エネルギーの利用が進み、電気自動車だけが走る社会とか、そんな答えを望んでいたので、納得できない部分もありました。でもよく考えたら、それもそうなのかなと…。おかげで自分たちの未来は自分たちで守ろう、創ろうという気持ちが一層強くなりました」と、小杉さんは苦笑い。
「正直、成人という自覚はまだありません。でもゆくゆくは、ビジョンを描くだけでなく、それを実現するための仕組みをつくる人になりたい」
そんな思いを抱いて臨んだ中高最後の気候マーチだったのです。
志望校は地元国立大学の工学部。責任を背負うだけでなく、責任を果たせる人を目指して、小杉さんは今週の大学入学共通テストに挑みます。
いまあるものを組み直しつくりかえる/それこそがおとなの始まり/永遠に終わらないおとなへの出発点/人間が人間になりつづけるための/苦しみと喜びの方法論だ…谷川俊太郎「成人の日に」
きょう成人の日。十八歳でも二十歳であっても同じこと。人が人に“成る”ための永遠の助走を始める日かもしれません。
◆今を大切にしなければ
さて、ことしも書家でタレントの矢野きよ実さんに、新成人に「贈る言葉」をしたためていただきました。
「幸せの約束」=写真(下)。
「あなたが幸せにならないと、まわりの誰かを幸せにすることはできません。私が幸せになりますと、自分自身に約束する日にしてください」とのメッセージを添えて。今を大切にしなければ、未来をひらくことはできません。
新成人のみなさん、おめでとうございます。受験生の新成人、ラストスパート、がんばって。
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成人の日に 谷川俊太郎
人間とは常に 人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉が
しこりのように胸の奥に残っている
成人とは人に成ること もしそうなら
私たちはみな日々 成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間とは何かを知りつくしている者もいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ その問いに
毎日のささやかな行動で
人は人を傷つける 人は人を慰める
人は人を怖れ 人は人を求める
子どもとおとなの区別がどこにあるのか
子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな
おとなは一生大きな子ども
どんな美しい記念の晴着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ
「二重底」のような「二十歳の集い」。もっと18歳に目を向けたほうが良いのではないか? せっかく18歳が「成人」となったのだから。
「永遠の助走を始める日」というのもしっくりしない。「命」を受けた時から「助走」は始まっている。そんな一通過点としての「自覚」と「決意」を持ってほしい。
そして、みんなが「受験生」ではないことも考慮しなければいけない。「めでたく」思わない人もいるだろう。人を十把一絡げではなく、個々を尊重する社会をめざす、優しさと行動力を望みたい。
18歳「成人」おめでとう!
本当ですね!
ニュースを見ていても、「20歳の集い」とか
「22歳の集い」とかに焦点が当たっていますね。
コロナ禍で集まれなかったからという理由みたいですが。
自分のことを振り返ると、今の18歳の人たちは
ずいぶん大人だなと思えます。
でも、ひとりひとりを見れば様々でしょうから、
その人、その人に合った対応が大切だと思います。
それで、まともな「成人式」やってるんでしょうね? いろいろ「コロナ」が影響しています。