風がヴギウギ

自由気ままな風の様に毎日を切り取っていく

また雨降りだけどフォ-クソング・・・11

2020年10月19日 | FolkSongヴギ

森田童子 GOODBYE グッドバイ

始めて 童子さんの歌を聞いた時は その何とも言えない世界に引き込ませた

その歌は 僕が20歳の時聞いた『さよなら ぼくの ともだち』

最初は 男なの? 女なの?って本当に思ったりしていた

このころは1曲好きな歌があると EPは買わずに

即 LPを購入し聞いていた

勿論 当たりはずれはあるが このレコ-ドは前者であった

20の時は バイトしていたデパ-トの機関紙に挿絵を描いたり

学際があると 友達に絵を売ってもらったりしていた

大学時代は毎日が ロックアウト 4年間のうち真面に授業を受けたのは1年生の前期のみ

機動隊と学生のぶつかりあいの中

校内から人ひとり通れる門の隙間から逃げたり

時代と言えば 時代ですが

歌とダブらせていた所もあるのでしょう

それから『さよなら ぼくの ともだち』が高校教師の主題歌になって

どこか排他的な感じがする 詩や歌を多くの人が時代を越えて指示してくれ

また 耳にすることになった時は感激でした

長い髪をかきあげて ひげをはやした やさしい君は 

ひとりぼっちで ひとごみを 歩いていたネ 

さよなら ぼくの ともだち g

夏休みのキャンパス通り コーヒーショップのウィンドウの向う 

君はやさしい まなざしで ぼくを呼んでいたネ 

さよなら ぼくの ともだち

LPの表には 「まぶしい夏」の詩が書いてあります

どこか さよなら僕の友達に 共通する物語のような・・・

玉川上水沿いに歩くと 君の小さな アパートがあった 

夏には窓に竹の葉が揺れて 太宰の好きな君は 睡眠薬飲んだ 

暑い陽だまりの中 君はいつまでも 汗をかいて眠った 

あじさいの花より鮮やかに 季節終わりの セミが泣いた 

君から借りた太宰の本は 寂しい形見になりました 

ぼくは汗ばんだ 懐かしいあの頃の 景色をよく覚えてる

1975年のヒット曲を調べてみると

1位 さくらと一郎:「昭和枯れすゝき」2位 布施明:「シクラメンのかほり」

3位 小坂恭子:「想い出まくら」4位 沢田研二:「時の過ぎゆくままに」

5位 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド:「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」

凄い時代ですよね 演歌・フォ-ク・ロック系の曲が入り乱れている時代

是も僕の個人的な感想ですが

森田童子さんの曲は

さくらと一郎「昭和かれすすき」に似ている 哀愁がある心に残るうあた

エレジ-って言うんですかね

1972年 僕たちも虜になった 赤色エレジ-(あがた森魚)のようです

もう亡くなってしまい

新譜を聞くことは出来ませんが 僕にとっての森田童子は

このアルバムの中にいます

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虎太郎 さっぱりしたね・・・

2020年10月19日 | ちびっこギャングズ。ヴギ

家の人気者 虎太郎です

先日の手術から完全復活して いたずたっ子に戻りました

毛がのびていてトリミングしようとしてたら 病気で手術

やっと 綺麗にしてもらいました

帰ってきた虎太郎

全員がかわるがわる撫でてるのですが

毛ざわりって言うんですか

小さい頃坊主頭を無茶苦茶触られたみたいに気持ちいいんですよ

帰って来てからは 寒いのか暖かいところで寝ています

一番好きな子は 膝の上で 人の体温で暖をとってるんでしょうで

そうは言う物の

虎太郎は 短髪の方が似合うよねって 全員の意見

毛も抜けないし掃除の簡単だし(笑)

 

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防犯:木の伐採・・・

2020年10月19日 | 日常ヴギ

梅の木が大きくなりすぎて街灯を隠しているので

町会として 木を伐採することにしたのですが

話が大きくなって もう片方の夏ミカンの木と ボウボウの生垣も整理することになりました

 

梅の木や垣根の木は良いのですが

大問題なのは 夏ミカン 

夏ミカンには棘があります それも太いのはお箸くらいの太さ

刺さったら 勿論 車でもパンクします

枝打ちをしながら 棘をある程度切りながら

ボランティア袋に入れるのですが

細かい棘までは対応出しませんでした  

 

電ノコで太い幹や枝は 30-40cmの大きさに切り揃えます

あまり日常使わないので 防災の練習みたいでした

9:00に開始して 途中休憩をはさみ

終了したのは 12:30

途中から雨も降りだし 雨の中での掃除となりました

やっと 綺麗になり 見通しも良くなって暫くは大丈夫でしょう

お駄賃は 150個ほど採れた夏ミカン

休憩の時 みんな食べてましたが 酸っぱいみたいなので

僕は パス・・・酸っぱいのが 苦手なんです

全員で分けて ジャムでも作ることにしました

家に帰って 切ってみたら

バアバは 美味しいと言って食べてましたが

やはり 僕はこの写真見ただけで 唾が口に広がります

 

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親父の自作本・・・ 味噌炊き・・・1

2020年10月19日 | お絵かきヴギ

「お菜(は)洗い」の時に味噌の事が出てきたので

味噌炊きの事をかいておこう

中学時代になってからだと思うが

早い時期に 味噌屋から買うようになったので

古い事で記憶もおぼろになってしまったが

子どもの頃は

どの家でも漬物だけではなく 味噌も自家製だった

東京へ転居する時だったろうか

他家へあげてしまったように思うが

我が家には直径が60cm程もある味噌焼用の鍋と

その為のドラム缶を切ったような移動竈(かまど)があった

肝心の時期は思い出せないが

味噌には ?がつきものだったし 父の句にも

「土間の出入りを吊るし味噌玉 ?吹くの」と言うのがあるが

その前後には「山吹」「筍」の句があり

妻に聞くと 高遠では4月か5月頃の事だったという

尚 調べてみると「八十八夜の頃」と書かれてあり

味噌造りは このころ作ったのだろと思う

-続-

※ワ-プロで打ってある感じが読めなくて四苦八苦

文中?の部分です 味噌に関連するのは何だろう?

後に解ったら修正しないといけません

前も書いたように 味噌蔵の味噌壺・・・3つ

今はメダカの住処になっています

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