うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

慰霊の日

2007年06月23日 09時45分35秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日、6月23日は太平洋戦争末期に行われた地上戦、沖縄戦の組織的戦闘が終結した日で、この戦で亡くなった人々を慰霊できるように、沖縄県では毎年この日は休日とされています。(今年は土曜日と重なりましたが・・)
ちょうどこの時期、沖縄は梅雨明けを迎え、強い日差しの下、美しい空と海が広がります。
その空や海を見るたび、今の静かな人の営みを見るたびに、60数年前、この場所で20万人以上もの人々が亡くなるほどの激戦があったことが非現実的にさえ思えてきます。
しかし、身近に点在する戦跡や、未だに処理が続く不発弾、何より平和祈念公園に立ち並ぶ平和の礎(いしじ)に刻まれた軍民24万人もの戦死者の人々の名前を見るとき、それが現実にあったことで、想像を絶するものであったことを理解するのです。
当時の県民の四分の一が亡くなるという状況は、容易には想像できません。
大学図書館に保存されている、沖縄戦前の写真を見ると、本島各地に広がる石畳道や、風光明媚な風景の中を走る県営鉄道、お洒落な尖塔が目立つ那覇市役所、そして今では竹富島くらいでしか見られないような沖縄建築の集落など、今のリゾートとしての沖縄とは一味違う、まさに美ら島沖縄が存在していたことがわかります。それらが今に残っていればと思うと、とても惜しく、もしも沖縄戦が無ければ・・・と思ってしまいます。
多くの犠牲の上に、今の沖縄があることを思えば、軽々しい行動はできません。

この週末、私も慰霊の日関連の写真展企画に出席する予定になっています。
今も教科書記述変更問題で議論が沸き起こっていますが、実際のところ私には真実はわかりません。様々な資料を見ても、同一証言に対して異なる解釈のものがあったりして、なかなか一般人には判断は難しいです。(テレビ、新聞、写真、映像、間に記者やカメラマンという存在がある限り情報はある程度選択されてしまいますし・・)
ただ、体験者の証言(私も実際に聞きました)をきけば、集団で自決したという、凄惨な事実があったのは確かですから、大切なのはその犠牲者の方々を慰霊する気持ち、そして行動だと思うのです。その形は人それぞれで良いと思います。私は、写真を撮る際、戦跡に立ち入ることもあるのですが、そのときは必ず一度立ち止まり、しばし手を合わせます。
しかし、そこを戦跡だと知らなければそのような行動は取れません。実際、本土から来る観光客の中には、沖縄戦があったこと自体を知らず、そこに何故慰霊碑があるのかがわからない人も結構いるのです。

慰霊の日、それぞれが「慰霊」の形を考える日でもあると思います。

最後に、沖縄戦で亡くなった人々に対して、合掌。