うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

つれづれなるままに・・・

2005年09月10日 18時27分32秒 | うちなー日記(沖縄編)
つれづれなるままに日暮らし、実家に着いて18日が経ってしまいました。当初の予定では今頃寮のリビングでテレビを見ながらごろごろしているはずでしたが、現実は、実家の部屋でパソコンを見ながらごろごろしている今日この頃です。
それもこれも、原付の免許の受験が延々と先延ばしになっているからでございます。「今日こそは受けにいこう!」と思っていても、ネット上で深夜徘徊していると、いつのまにやら午前6時半になっていて、ラジオから「ラジオ体操」がながれてくるのです。「ああ、今日も夜があけたな・・」と、半ばあきらめに似た感慨が湧いてくるのです。かくして、今週も一週間終わってしまいました。なんとか意味の無い日にしないために、新装オープンのレストランに食べにいったりだとか、弟の授業参観に行ったりとか(「○○くんのお父さんだ!」って言われたorz)、昔撮った8mmビデオを編集したりとか、それとなく意味のある毎日を過ごしていますが、故郷(ここでは沖縄)忘じがたく候・・・そろそろ帰らないとストレスが・・・(゜x゜)
ここで、室生犀星の文章から、「ふるさとは 遠きにありて思うもの・・・」室生犀星の故郷は金沢で、このとき東京にいたのですから、直線距離だとせいぜい300kmです。こちらは沖縄と奈良ですから、1200km・・・ああ、遠い・・
写真は、沖縄本島最北端、辺戸岬です。

森前総理、来ました。(握手もしました!)

2005年09月07日 18時22分00秒 | うちなー日記(沖縄編)
本日、本当に森前総理が実家の町にやって来ました。森前総理は、本通り商店街(全長1km)を練り歩いたあと、駅前広場で奈良二区の自民党の女性候補の応援演説を行ないました。その際、後ろに並んでいたはずの私が、周囲の人たちが後ろに下がったため、いつのまにか一番前に来ていて、到着した直後の前総理と握手してしまいました。よく考えたら、仮にも一国の首相を務めた男との握手です。結構貴重な経験かもしれません。(市議会議員選挙くらいなら、しょっちゅう握手しているが・・)
演説の内容は、とても分かりやすく、しゃべり方は田中角栄を彷彿とさせるものでした。商店街の方で、かなり受けが良かった(地元の選挙区よりも受けが良かったらしい)そうで、とても上機嫌で、小泉総理の発言とは、若干ニュアンスが違いましたが、それでも総理を全面的に支援する演説でした。
曰く、「(私の隣にいた地元の大学生に向かって)君たち、最近は郵便出してないだろう?な、そうだろう。これからは郵便はだんだんと縮小していくんですよ。携帯電話が進んできているんですから。その衰退する郵便の組織に、340兆円ものお金が集まっているんですよ!これを民営化によって効率的に市場に出そうというのが、今回の郵政民営化なんですよ。例えば、そこに走っているJR(と言って駅をさす)や電電公社とかみたいに。でもね、今大切なのは郵政民営化だけじゃないんですよ。たとえば、年金とかもっと他の問題もあって、そんな問題も、○○さん(候補者:前回落選)がいれば解決できたかもしれない問題なんですよ。彼女が議席を離れたことは非常に残念でした。だから、今度、是非彼女には議席に戻ってもらいたいんですよ。」という感じで、なかなか踏み込んだ発言でした。今まで、森前総理といえば、ダメな大人のように思っていましたが、さすがに元総理だけあって、なかなか喋りは上手く、ちょっと見直しました。ただ、体型は、テレビで見るよりも、さらに幅が広く、まさにビール腹って感じでした。
また、報道陣も結構来ており、テレビ局が4社、新聞が5社ほど来ていました。やはりこの方の発言は注目されているんですね。今日はそんな演説を目の前(本当に5mくらい)で聞けてなによりでした。
さあ、投票日まであと4日です。

総選挙!

2005年09月06日 23時19分06秒 | うちなー日記(沖縄編)
さて、盛り上がってまいりました、衆議院議員総選挙!最新の世論調査でも、自民党の優位は揺らいでいませんが、小泉総理の続投を望む人の割合が減り、望まない人の方が多くなっています。私としては少々意外です。ただ、総理にふさわしい人物の項目では、あいかわらず小泉総理の独壇場で、まだまだ支持率は高いです。これってちょっと矛盾しているような気がするのですが・・
そういえば、明日森喜朗前総理が実家の町に来ます。ところが、それを知らせる看板が街中に置かれているのですが、昨日見たところ、「森善朗 来る!」と書かれているではないですか!間違ってますよ、そこの看板!正しくは「森喜朗」です。
あの方は、名前の漢字の音読みと皮肉から、「しんきろう(蜃気楼)首相」と呼ばれていたんですよ。で、その話を家族にすると、「え、これであってるんじゃないの?」「改名したんじゃない?いくらなんでも名前は間違えないでしょ・・」という反応。私の確信も、少し揺らいできました。
そして、今日。同じ看板を見てみると、正しく書き直されているではないですか!街中の看板の表示が全て変更されていました。やはり間違っていたんですね。仮にも前総理なのに・・・
そういえば、これとはまた別の話で、先週、駅前で民主党の候補が演説していました。その際、「・・・法案に批判ばかりして、対案を出してこない!・・・・それが今の民・・・、自民党なんですよ!」と微妙に言い直していました。明らかに民主党と言いそうな勢いでした。大事なところなんですけど、そこの部分・・・
とにかく、今回の選挙は郵政改革とともに、政権選択の色合いも強い選挙になりそうです。これから5日の間にどうなっていくのか・・興味深いところです。

久しぶりに名阪国道を走りました。

2005年09月05日 18時19分34秒 | うちなー日記(沖縄編)
もちろん父の運転ですが・・
実家の別宅が三重県の伊賀市にあり、今日名阪国道を通って、様子を見に行ってきました。
今日は山の方は土砂降りで、前を走るトラック軍団が巻き上げる水煙で、視界がさえぎられることもしばしば・・また、もともと急勾配、急カーブの連続なので、水の溜まった路面はまさにひやひやものでした。
なんとか無事に帰ってきましたが、まあ、よくあんなところに道を造ったものだと改めて思いました。
ちなみに、雨のため、制限時速は50kmになっていましたが、車の流れは通常通り、時速100km超でした。(途中、さすがにパトカーが先導して、徐行させていましたが・・)
帰りには、やはりΩカーブの下り坂で事故が起きていて、路肩規制されていました。




久々に関空に行きました。

2005年09月03日 18時18分05秒 | うちなー日記(沖縄編)
久しぶりに飛行機を見るためだけに関空に行きました。今年の3月、受験で沖縄に飛んだ時に利用して以来です。
展望ホールへ行くのは実に1年半ぶりで、昨年と今年に2回大リニューアルをしているため、以前とはかなり変わっていました。そして、久しぶりの関空は、いつになく人で賑わっていて、なかなかの繁盛ぶりでした。やはり航空業界も緩やかではありますが、回復傾向にあるようです。
展望ホール「スカイビュー」は、今年7月の大改装で航空ミュージアムに変身し、昨年には見受けられなかった、子供連れも多く来ていました。私は夕方から行ったのですが、夕暮れから夜景へと素晴らしい景色の移り変わりを写真に収め、その後、疲れた体をレストラン「コンコルド」での軽食で癒すという結構贅沢な夕べを過ごせました。
ところがここで、ゆっくりし過ぎたため、実家への終電車に乗り過ごしそうになりました。本来は特急「ラピートβ」に乗らないと間に合わない、難波での南海電鉄から近鉄への500mの乗り換えでしたが、残金不足のために、空港急行に乗り、難波駅で全速力で走って、なんとか4分で乗り換えに成功、奈良行きの近鉄の終電に乗ることができました。もしも難波での乗り換えに失敗したら、奈良から歩いて帰らなければいけないところで、本当にぎりぎりセーフでした。
自分でいうのもなんですが、今日はなかなか良い写真が撮れました。できるかぎり早くこのサイトでも紹介します。(結構以前からの写真が溜まって来ている・・・)
下の写真は、レストラン「コンコルド」のコンコルド形のテーブルです。この店は、コンコルドの機内をイメージした内装で、機内食や洋食を楽しめます。安いセットもあるので、気軽に入れるのが良いですね。


三線の演奏をしました。

2005年09月02日 18時15分55秒 | うちなー日記(沖縄編)
そういうわけで、今日は母校で三線を演奏してきました。
こちらの予想では小さな教室で少人数を前に演奏するつもりだったのですが、合併教室という、普通の教室の3倍ほどの教室で、結構な人数を前に演奏することになってしまいました。
社会科の先生によると、三年生の日本史の授業で、一学期に沖縄戦についての話をしたので、二学期へのつなぎで、沖縄らしい曲を演奏してほしいとのこと。本当は沖縄戦がらみで島唄を演奏してほしかったそうですが、私まだ島唄はマスターできていないので(高音のところが歌いにくい)、十八番の安里屋ユンタを弾きました。弾き始めたときはざわついていた三年生たちも、最後の方になると、聞き入ってくれて、演奏が終わると、拍手してくれました。実は、今の三年生には知り合いが多く、若干親しみが強すぎる面があるので、少々演奏は恥ずかしかったのですが、なんとか間違わずに演奏でき、ほっとしました。
先生から、「君たちの1年先輩で、現在琉球大学理学部で学んでおられる、堤先輩です」と紹介された時には、「えっ、理学部・・!」「国立じゃん・・」と妙な驚愕の声が聞こえてきました。そんなにできない先輩だと思われていたのだろうか・・・?
ともかく、来年の春に沖縄に来てくれる後輩はいるのかいないのか・・ちょっと楽しみです。
写真は母校の本校舎の廊下です。昭和初期の建築で、当時の重厚な建築の雰囲気がよく感じられます。地下には防空壕があったり、第一体育館は戦時中、戦闘機の整備に使われていた建物だったり・・・私の母校には結構興味深い秘密が隠されています。


高校の先生に会いました。

2005年09月01日 18時14分41秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日は母校、天理高校の恩師に会いに行きました。
昼前、理科職員室で恩師の先生(ものすごくお世話になりました)が職員会議から戻ってくるのを待っていると、数学の先生(この方にも大変お世話になりました)から電話がかかり、お昼ご飯を友人たちと一緒におごって頂きました。懐かしの政治経済の先生も一緒で、それぞれの通う大学の話や、衆議院議員の総選挙についての話で盛り上がりました。
その後、高校に戻り、友人と一緒に再度理科職員室に恩師を訪ね、つもる話をいたしました。パソコンを持参していたので、沖縄の写真やホームページを見せながら、1時間少々、恩師の先生やその他の先生方、友人たちを沖縄ワールド(もとすけワールド?)に引き込んでしまいました。先生曰く、「今日から学校はじまったのに、こんなの見せられたら、沖縄に行きたくなっちゃうじゃない・・」と・・・。二年連続の三年生の担任で大変な時期の先生にエールを送りつつ、高校を後にした友人と私たちは、その後カラオケで三時間熱唱した後、友人の一人の親父さんが彩華ラーメンの店長なので、またまたスタミナラーメン(本当の名称は彩華ラーメンですが、紛らわしいので)をおごっていただきました。彩華もいくつかの店があり、友人の親父さんの店は、屋台店(彩華元祖の店:以前関西のおいしいラーメンベスト100で6位くらいにランクインしていた)で、ここでは玉子もちゃんと入っていました。やはりこの前食べた天理西店の味とは一味違い、ここが一番彩華っぽいんじゃないかなと思いました。
と、そこに、一本の電話がかかってきました。数学の先生からでしたが、その内容は、
「お前今日三線弾いてたやろ、明日社会科の先生の授業で弾いてくれんか?」とのこと。
明日は原付の免許をとるつもりなので、
「え~っ、明日原付取りに行く予定なんですけど・・・」
「そこを前向きに頼むわ。なっ?」
「・・・はい、分かりました。」
ということで、当初だれもが予想しえなかった展開になってしまい、驚くやら嬉しいやら・・。
よく考えたら、私まだそれほど三線うまくないんですけど・・
写真は、母校の本校舎(右側)と、第3別館(左側)、図書館棟(中央)です。私の通っていた教室や2類の職員室は第3別館にあります。